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markun5

授業の悪循環

 これも2015年に書いたもので、さらに、その当時から過去を振り返ってみていますから、実質2010年ころの話と思ってもらえればいいでしょう。

 数回に分けて書いたものを一つにまとめているので、少し話題が飛びますが、過去の状況はどうだったのか、ということを把握するには、いいのではないかと思います。


<「学級崩壊」を認識せよ>

 各学校の学級通信やテスト受験の様子を見ていると「学校でどのような事が起きているか」がおおむね把握できます。その状況をまとめてみると、どうやら「私語が絶えない」というのが大勢を占めているようです。これ、実は「学級崩壊」ですよ。


 実は、以前から指摘していますが、釧路の場合「学習塾で学級崩壊が起きている」という唯一の地区ではないでしょうか。

 話がきちんと聞けない。そして、話を聞かないから先生の指示が分からない。それで、すぐ隣の子に話しかけて「ねえ、どうすればいいの?」。これが日常のようですね。


 数年前の話ですが、ある女子校の進学説明会に参加したことがあるのですが、そのときは子供でなくて「親が止まずしゃべっている」という状況で、子供に「お母さん、静かにして」と注意されてむくれているんです。ハッキリ言って「バカ親」ですよね。そして、こういう親を育てて来たのが、昔の釧路の教育ということになりますね。当然釧路の場合は「ゆとり」以前から、こういう状況が続いています。


 そして、自分はこの原因は「附属にある」と思っているんです。例えば「問題をやりなさい」と言われて「全然関係ないことを平気でしゃべり出す」「すぐに問題に取り組まず、鉛筆を削りだしたり、消しゴムを探し出したりと余計なことをやりだす」。これ附属生の特徴です。問題を解いている最中、ずっと机に寝そべっているというのも附属に多く見られます。

 こういう姿勢を注意せず放ったままにして、それで良しとする授業が、釧路市内に広まったと考えた方がいいでしょう。つい何年か前も「寝ている子を注意せず、その子の手に落書きをした教師」がいたのも附属ですね。


 ひとたび教室に入ると、そこは「集団生活の場」です。そこで、自分で好き勝手な事をして「他人に迷惑をかけている」という状況が起きていて、なおかつそれが「日常」になっている。これが「崩壊」です。

 この次元で「学級崩壊」と捉え、普通に授業を行える環境を作ることが、次の段階の学力向上に向けての第一歩となります。中学校で学力テストの平均が低い学校。そして、そこに通っている生徒が通っていた小学校。この辺を調査すると、新たな側面が見えてくると思いますよ。


<損する「まじめ」な子>

 さて、それでは「なぜ、学級崩壊状態になってしまうか?」という点なのですが、自分は一つ仮説を持っています。

 それは、対応しづらい「わがままな子」を容認しておいた方が(教師自身が)悪く思われずに済むから。要するに、いちいち注意してむくれさせるよりも、そのままにしておいて、良い関係を作っておいた方が授業がやりやすい、という感覚でいる教師が多いんだろうということなんです。結果、授業中の私語が多くなり、その中で授業を進めようとしても「分からない」と言い出す子が増え、そういう子のわがままに対応しているうちに、どんどん授業進度が遅れていきます。


 また、そういう状況であれば、きちんと先生の言うことを聞いて「まじめに勉強に取り組む子」はどういう扱いになるかというと、「この子は、何をしても大丈夫だから、まあ、いいか」という対応になって行くんですね。結果、まじめに勉強に取り組む子が塾などに行って、きちんとした環境で勉強すると、しっかり物事が出来るようになっていく、という事になっています。もちろん、塾でも「学級崩壊」を起こしているようなところはダメですが・・・。


 ですから、釧路では「授業中うるさい子」と「妙に人なつっこく先生にベッタリしたがる子」の2タイプが多く、こういう子が「実力に見合わない通知表」になっていきます。割を食うのは「自分から積極的に働きかけるような事がなかなか出来ない」というタイプの子。こういう子は、実力はあっても通知表結果があまり良くなりません。

 実際に北海道学力コンクールなどを受けさせてみると分かるのですが「ちょっと物静かな子」は「うるさい子」より得点力が高いのにも関わらず通知表結果が低く、志望校判定が悪くでます。「学校の教師はどこを見て通知表をつけているんだ」と自分がうるさく言っているゆえんです。


 ですから、そろそろ「授業を受ける姿勢」にも目を向けて、対応をしっかりしていかないと、釧路の学力はなかなか上がって行かなくなってしまうでしょう。そして、まじめな子をないがしろにしていると、こういう「積極的に見えない子」に対して、いじめが起きやすくなります。まじめに物事に取り組む子をバカにしてしまうような風潮が生まれてしまうんですね。こういった事だけは絶対に避けなければなりません。

 そして、これを肝に銘じていきましょう。「授業上手はしつけ上手」なんです。


<上っ面評価>

 「まじめな子が損をする」という背景には、もう一つ重大な欠陥が存在しているということです。それは「何を見て、どのように評価するか」という基準なんです。


 例えば今までずっと言ってきた「作文」ですが、これも文章を書かせてみないとその子の文章力は評価出来ませんよね。以前は作文の宿題があって、それを見て評価することが可能だったのですが、今は書かせないですから「きちんとした人に見せる文章を書く力」の評価は全く行われていないと思った方が良いでしょう。

 そして、これは実際に起こっている事ですが、15年以上前であれば、附属小の生徒の中には「大人顔負け」の作文を書く子がそれなりにいたんです。ところが、最近では附属中の生徒で学年3番くらいに入っていても、文章を書かせると小学生並という状況ですよね。  これが「一事が万事」。問題をきちんと解かせなければ「問題の対応力」を評価する事は出来ませんし、いわゆる「知・徳・体」と言われていますが、それぞれの内容に細かな視点で評価基準を設ける事すら行われていないでしょう。それでいて「知・徳・体のバランス」と言っているから全部が低くなるわけです。

 そして、今、行われている評価はというと、そのほとんどが「上っ面評価」。授業中に発言すれば良い評価にしますよ、と言った「子供が、どのような所に能力を持っているのか」という所にまで入っていかず、授業中の上っ面の姿勢だけで判断しているということです。


 そうなると、子供達は教師の足元を見て「あの先生は授業中手を挙げると成績を良くしてくれるんだ」と言っていて、実際に授業中に私語をやり放題。でも、先生が何か質問したときだけ「手を挙げて発言する」から、評価だけはいいんですね。分からないところがあったらすぐに質問するのも「積極的・意欲的」と判断されるようです。ですから、計算練習や英単語の練習すらせずに、分からなくなったらすぐに「わかんね〜」と言って先生に聞いていれば良い評価がつくんです。

 でも、本当に「積極的・意欲的」なら、家で練習して身につけるべき所をきちんと身につけてきている訳ですから、授業中、そんなに「わかんね〜」ということにはならないはずなんです。ここでも評価方法が「はずれ」ですよね。


 よく「コミュニケーション不足」と言われますが、その一番の原因は、教師の評価が上っ面だから、教師に対して何かリアクションを起こさないと評価してもらえないからなんですね。だから「ヘラヘラして調子のいいやつ」がのぼせ上がるんです。でも、多少口べたでも「本当にきちんと物事を行っている子」を評価できるようにしてあげることこそ大切と思わなければなりません。そして、こういうのは「コミュニケーション不足」という問題ではないんです。そういう子をきちんと評価できる体制になっていない、学校・教師の問題なんです。

 もっと言うと、これが「いじめの問題」にもつながるんです。まじめにやっていて、でも大人しくて何も言い返せないような子がまず最初に「ターゲット」にされるんです。

 ですから、多方面から評価できるように、生徒にいろいろな事をやらせて、評価基準の幅を広げ、その中でしっかり出来ているところを認めて行く、というスタイルにしなければなりません。

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