今回も2014年に書いた内容で、サッカーのワールドカップの話が出てきます。
これも、未だに傾向が消えていない内容だと思ってください。
<右にならえ!>
ちょっと前の話ですが、自分の感覚でちょっと「気持ち悪いな〜」と思ったことがあります。それは、サッカーのワールドカップ終了後の日本代表のチームメンバーのコメント。みんなが判で押したように同じコメントだったんです〜「自分たちのサッカーが出来なかった」。中で唯一大久保選手だけが違うことを言っていたんですが、それもきっとサプライズ選出(突然、選ばれた選手)で、今までのメンバーとの関わりが、他の選手に比べて若干薄かったからかな、とも思ったんですが。
それで、先日、たまたまちょっと古い週刊誌がおいてある喫茶店に入り、そこでワールドカップ前に、釜本さんの書いた記事を読んだんです。すると、こんな事が書いてありました。主旨をまとめてみると、ざっとこんな感じ。 「今の日本代表は、このままでは危ない。お山の大将がいて、それに右にならえだ。だから、自分たちで考えて判断することが出来なくなってきている。以前で言うと中田、今回は本田だ」。
こういう話になると、自分はどうしても教育がらみで物を考えてしまうんですが、何となく、今の子供達って、自分の中に精神的な支柱がないように感じるんですね。要するに「確固たる土台」が作られていないから支柱が立てられない。だから、誰かに頼ろうとする。誰かとつながっていないと安心出来ない。
例えば、いじめの問題についても、誰かが一時的に「お山の大将」になって、あいつが気に入らない、となれば、周りが一斉に「お山の大将に従って同調する」。そこで集団でのいじめが発生する。でも、頼られた側も、実はそれほど支柱がしっかりしていない。だから、次に別の「お山の大将」が立ったときに、今度はいじめられる側になってしまう。そんな事の繰り返しのような気がします。
そして、この構造、どこかで感じたことがあるな、と思っていたら、実は日教組・北教組。テストをやると「過度な競争につながる」「序列化につながる」〜判で押したようにみんな同じ事を言うんです。これ、ひょっとしたら、精神的な支柱を作れない人たちが集まって、一時的に立った「お山の大将」に右ならえしているだけなのかな、と思ったりします。
ある意味「洗脳」のような状況になっているのではないでしょうか。
そして、そういう環境にいて、子供達も少しずつそれに染まっていっているんじゃないか、なんて考えたりするんですね。
ところが、こういう組合に与さず、自らの支柱で立っている先生がいます。そういう先生って、周りの先生と比べて「学力が高い」と思うんです。人に寄らず、自らの立ち位置をきちんと持っている。物の考え方も理路整然としている。信念があるから、本当に精神的に強い、と思うわけです。 そして、こういう先生のような子供達がたくさん育ってくれる方がいいんだと思います。そして、そういう「信念」を持つためには、しっかりとした「学力」が必要になる。そのうえで、自分で物事をきちんと考えられるようになる。こういった流れが必要なんですね。
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