これも2012年の内容です。
当時、釧路で「学力保障条例」というのが全国初で作られる、となったときに、躍起になって反対していた人たちがいるんですね。学校の教師でもいましたし、北海道教育大学釧路の大学教授でもそういう人がいたんです。ハッキリ言うと「全員、共産系」です。いわゆる北教組がらみの人たちなんですよ。
それで、タイトルの発言をしたのが、その当時の釧教大の大学教授なんです。
<塾はどうなのさ?>
学校の平均点公表で「教員と保護者が対立関係になる恐れがある」、学力保障条例では「テストの点数さえ上げればいいという風潮を作ってしまう」「経済的な理由で子育てに十分手が回らない保護者を非難することにつながる」。これが専門家の意見だそうです。皆さん、どう思いますか?
とりあえず、ここは、皆さんの判断にお任せします。
さて、こういった意見の中で、さすがに酷いのがあるので、これだけは、ここでコメントしておきましょう。それはタイトルのように「学力を数値で把握すると、子供達が学びの意欲を失ってしまい、逃避する」というものです。これ、変だと思いませんか?
それじゃあ、塾に通っている子はどうなの? っていう話です。
塾では模試の「偏差値」「合格判定」など、数値が常に出され、子供達もそれを実際に見ているのですが、塾の子供達って、みんな「意欲」がなくなってしまっているんですか? そんなこと、あり得ないでしょ?
それで、子供達の意欲を削ぐ物っていったい何か、と考えた場合、その1番の理由は「分からないから」なんです。数値を出す・出さない以前に、学校の授業が分からない〜お客さん〜逃避、とこのようなプロセスをたどるんですね。子供達の話を聞いても、 「学校だと全然勉強する気が起きない」 「どうして?」 「だって、うるさいんだもん」 おいおい、意欲を削いでいるのは、単に、授業が原因じゃないの?
その逆の例もあって 「うちの子、塾に入って、勉強が分かるようになってから、自分から進んで勉強するようになったんです」 ってな具合。
偏差値が上がったり、合格判定が良くなってきて、自分の努力が数字になって出されたときに、子供達はうれしいと思うし、それが意欲につながっていったりするんですよ。
だから、上記の「学力を数値で把握すると、子供達が学びの意欲を失ってしまい、逃避する」ということを本気で信じている教師がいるならば、それはその人が「授業が下手〜子供達は分からない〜テストでも点数が取れない〜もう勉強したくない」という流れを作ってしまっている教師なんだ、と認識してもらわなければなりません。
ここが一番の原因なんですよ。
で、その次に来るのが「勉強するのが面倒くさい」「ゲームなどで遊ぶ方がいい」、と数値で把握する以前の段階で「意欲の薄れた状態」であったりします。これは、家庭環境に対して、働きかけをしなければならない問題で、数値がどうのこうのという話ではないんですね。
ただ、数値で把握することで「子供たちが意欲を失う」という場合、これはあるかな、と思われるのが、親や教師の「ダメだし」なんです。お父さん・お母さんだと、せっかく子供さんが頑張っても、間違えているところだけ見つけて「ここは、どうして出来なかったの?」とやってしまったり、兄弟がいる場合「お兄ちゃんのときは、こうだったよ」とやってしまったりすることなんですね。
だから、子供達の意欲を考えたときに、一番最初にやらなければならないのは、教師の「授業力」の向上、次に「家庭環境の充実」、そして、それを前提とした「数値の見方」を教師や保護者が認識していくことなんです。
ちなみに、単に数値を出しただけで意欲が削がれるということはありません。もし、削がれるとしたら、それは、子供への「数値の与え方」に失敗しただけ。ちゃんとした与え方をしたならば、たとえ結果が悪く出たとしても、それを意欲に結びつける事は十分可能なんですよ。いわゆるポジティブシンキングというやつですね。同じ結果でも与え方によって、良くも悪くもなってしまう、ということなんです。
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