これも2013年に書いた内容です。この当時は「ゆとり教育」の影響がそのまま出ていて、細かい部分が非常に雑な扱いになっていました。
最近でも「勉強ができる子の方が字が汚い」などと言う人もいますが、人に見てもらう字が雑な人って、みっともないですよね。そして、個人的には、こういう部分まで含めて「教育」だと思っています。
ただ、正直に言うと小学校の先生は、黒板に書く字など、非常にきれいに書いている人が多いんです。そして「パッと見てすぐに字が認識できる」ように「字のバランス」や「止め・はね・はらい」などを指導している先生も少なくないのですが、どちらかというと、この点に関しては「分かればいいだろ」という感覚で、しっかり指導している先生に文句を言う保護者の方が多いように感じています。結局、字の問題は、家庭での意識の問題になっているように、自分の方では感じています。
そこの認識を少し変えていきましょう。
<目標は「中3で、社会人として通用するように」>
「いやあ、うちの子、字が汚いんですよね〜」というお母さんも、結構、多いのですが、それでは、字の練習をさせているかというと、そこまでやっているお父さん・お母さんは、少なくても釧路ではあまりいないようです。そのうち何とかなるだろうな、くらいの感覚のお父さん・お母さんが多いのではないでしょうか。
そこで、字の汚さのレベルは、いったいどこまで許されるのか、という事からお話しておこうと思うのですが、これは「履歴書に書いて恥ずかしくないレベル」と想定しておくといいでしょう。
というのも、今はめっきり少なくなりましたが、それでも、中卒で就職する子もいるわけですし、いわゆる「団塊の世代」と言われている人たちの時代は、中卒で就職していた人も圧倒的に多かった訳ですから、少なくても「中学校卒業時点の字のレベルは、社会人として通用するレベルまでにしておく」ということが大前提だろうと思います。
そして、実際に履歴書に自分の学歴や長所・短所、趣味などを書く場合の字は、読む人が見てすぐに分かるように「バランスよく」、きちんと「止め・はね・はらい」を意識して書くこと。企業の人事担当者が見て「この子は、止め・はね・はらい、がしっかりしている」と思った場合、それは、就職してからの仕事も、細かいところまできちんとやってくれるだろう、という判断をしてくれると思いますし、逆に、雑な場合は、就職してからの仕事も雑にやるんだろう、という判断をしてくると思います。
もう一つ言うと、学力の高い子というのは、頭のスピードにあわせて字を書こうとする場合、どうしても、速く雑に書いてしまうものですが、それはあくまで、自分で見て分かればいい「個人のメモ」でやることであって、人に見せるものになれば、当然、清書は必要ですよね。その清書がメモと同じレベルの字であれば、やはり「カッコ悪い」と思っていてください。
自分の事を相手に伝える文書で、字が明らかに雑であれば、これは、書類審査の段階で不採用が決定していると考えてもいいくらいです。
ですから、上記の想定に満たないと判断される場合、これは、きちんと字の練習をさせてください。いざ、社会人になったときに恥ずかしくないように。
Comments