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  • markun5

基礎・基本の考え方

 これも2015年に書いた内容です。


<これを知っておくと、あとで困らないんです>

 ちょっと最初は面倒な理屈っぽい話ですが、なぜ、こういう話をしているか、という根本の部分の話になりますので、何となくぼんやり分かったでも構わないので、最後までお話に付き合っていただきたいと思います。


 さて、「基礎・基本」という言葉が良く出てくると思いますが、ここで、「基礎・基本」という言葉の持つ性質について最初に述べておきます。それで、こういう言葉の性質について考える際には、ちょっと極端な例を挙げて考えると、その性質などがハッキリするので、ここでは薬剤について例をとりますが、例えば「クロピドグレル硫酸塩」と聞くと、一般の人は「何の薬?」という話になるでしょう。でも、これが薬剤師や服用している人にとっては「血栓が出来にくくなる薬」ということを知っているんですね。それが当たり前で、そういう人たちにとっては「ごく基本的な知識」ということになります。ですから、その人の置かれている立場によって「基礎・基本」という認識が変わるものなんだ、ということなんです。


 これを学力的な話に落としていくと、例えば、中2の関数の問題。難関私立校を受験するような子供さんに取っては「関数で作られる図形の面積を二等分する直線の式を求めよ」くらいのレベルは普通に出来なくては、当然難関校など受かりません。こういうレベルの子にとっては、このレベルの問題は「基本中の基本」として捉えて行くことになります。しかし、公立の中堅以下の高校を受験しようと思っている子にとっては、前述の問題は「応用〜かなり難易度が高い問題」という認識で、こういう子供さんに取っては、関数の場合「まず、座標を求める」というレベルの内容が「基礎・基本」として認識される事になります。この辺は、実際に教材を見たり、作っている方なら分かっていただけると思うのですが、実際に市販の教材を見てみると、その子供達のレベルによって、基礎・基本の内容が違うということは一目瞭然だと思います。


 ということは、実は「基礎・基本」という言葉は、その人の立場や置かれている状況によって変わるし、その子の目指している目標によっても変わる〜いわゆる、立場や目標から逆算した「相対的なもの」であるという事なんです。


 ところが、道教委などからは「どこの地域に生まれても、等しく皆が平等に身につけられる基本的な内容」という「絶対的なもの」という認識で語られるのが「基礎・基本」の学力となっている訳です。  そうすると、元々「相対的なもの」を「絶対的なもの」として話をしようとするわけですから、当然、無理があり、ここで話が噛み合わなくなる〜齟齬が生じてしまうわけです。  結果的に、地域・学校・場合によっては担任個人によって、その基礎・基本の概念がまちまちになり、ある地域では「計算が出来れば基本はオーケー」と考え、ある地域では「学校の教科書に載っている例題を基本」と考え、ある地域では「教科書内容のうち、発展内容として扱われているもの以外はすべて基本」と考え、という具合に、その場所・その人によって、基本の認識がまちまち〜それによって、学力の地域格差や学校間格差などが生じる原因になる要因をつくってしまった、ということなんです。


 そこで「釧路の教育を考える会」はどのような事をしたか、というと「釧路では生活保護・準要世帯が多く、また、統計で見ると親が生活保護世帯である場合、その子も生活保護になる可能性が高い」〜いわゆる「負の連鎖」になっていく可能性が高いことから、こういう子供達が「正規雇用〜アルバイトやパートではなく正規社員として就職する」事によって、この負の連鎖から脱却出来るようにしていくために必要な学力というのを考えた訳です。

 そして、実際問題として、雇用の現場からは「資格試験に受からないから正規雇用として雇えない」「かけ算の九九すら怪しく、仕事が長続きしない」また、それ以外にも「学科試験が受からず、運転免許すら取れない」という話を聞き、最低限、ここをクリア出来るように、この「雇用の状況からの逆算」で「小学校4年生までの内容を基礎学力とする」という、一定の基準を示した訳です。要するに「相対的で、その曖昧だった概念に基準を設ける」という事を行ったんですね。そして、これが思った以上に高い評価を受けたんです。

 さて、面倒な話はここまでで、ここからがお父さん・お母さんにとって大事なところになるんですが、いわゆる「雇用の状況から逆算して、小学校4年生までの学力が必要」ということであれば、実際に中3で受験する総合ABCの学校平均で110点台とか120点台ということはあり得ないんです。少なくても140点前後まで行っていなければ、将来的に「雇用」という時点で危なくなる可能性が高い、ということなんです。要するに、学校平均が低いということは「基礎・基本」と考えているレベルが低くなっている可能性が高く、周りもそれで満足してしまっていて、結果的に将来性の芽を摘んでしまっている可能性が高い、ということなんです。

 ですから、自分たちは学校平均の内容に関しても、いろいろとうるさくコメントしているんですね。

 ということは、中学校卒業する生徒さんの中で、この点数に満たない人は、これから一生懸命勉強に取り組まなければならないと思いますし、中1・2の段階で500点満点の学力テストで200点前後というような平均点になっているところがあれば、それもまずいんです。ですから、決して「学校平均より高いから」と満足せずに、最低でも小学校4年生以上の学力を身につけ、それを基にして考えた場合の点数を保持していかなければならない、と考えなければなりません。そして、その基準はテストの6割前後、と考えておくといいと思います。

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