自分は、実質釧路生まれですが、ずっと釧路にいたわけではなく、親の転勤で小学校から高校まで室蘭、大学は小樽、塾講師で北見、そして、また釧路に戻ってきたという経緯をたどります。まあ、北海道をぐるっと一回りしてきたと言ってもいいのかなと思いますね。 そして、この釧路・室蘭・小樽・北見の4つの都市は、ちょっと面白いのですが、居酒屋に行って「カニ」と注文すると、それぞれ種類が違うんです。釧路はもちろん「花咲ガニ」ですが、これが室蘭だと噴火湾で採れる「毛ガニ」。長万部がすぐ近くで、そこの名産が「毛ガニ」という事を知っている方も多いのでは? 小樽はいろいろ種類はありますが、一番とされるのが日本海産の「ズワイガニ」。北見はオホーツク海で採れる「タラバガニ」ですね。 ところが、これだけカニに恵まれた地域を回って歩いているにも関わらず、自分は「カニ」があまり得意ではありません。それには理由があります。 実は、子供の頃、「カニみそ」を差して、うちの親父が「これは、カニのう○こだぞ」と言うのを聞いて以来、どうも「カニ=う○こ」のイメージが強くて、いわゆる「食わず嫌い」になっているんですね。今では身は食べることができるのですが、未だに「カニみそ」だけは抵抗があります。まあ、子供の頃に「悪い印象を与えると、それが大人になっても尾を引いてしまう」という典型的なパターンではないかと思います。
そこで、どうでしょう? もしも、子供の頃に「青白い顔をして本ばかり読んでいたってろくなものにならん。外を走り回って体を鍛えるのが一番だ。本を読んでいる暇があったら外に行って遊んでこい」なんて言われて育ったら、どうなると思いますか? カニを「食わず嫌い」で嫌ってしまうのと同じように、勉強を「食わず嫌い」になってしまうような気がするのですが。 釧路だけとは限りませんが、実際に、自分は小さいときにそういう「勉強より体を鍛えるのが大事」という話を何度か聞いたことがあります。おまけに大卒の銀行員などが丁寧にお客さんとして扱ってくれるのを良いことに、ふんぞり返って「あんなへこへこして、大卒なんてあんなもんだ。中卒・高卒の方がよっぽどいい」なんていう大人が自分の周りにも結構いましたね。
おそらく、釧路は、以前は基幹産業が「漁業」「炭坑」でしたから、子供の頃にこういう話を聞いて「勉強するより、体力勝負」というような感覚で育ってしまった人が多いのではないでしょうか。「おおらかに育つのが一番」なんて言っている人は、幼少期をこういう環境で育ってきたのではないでしょうか。
ところが、これが室蘭だと、ちょっと感覚が違うんですね。室蘭は以前は基幹産業が鉄鋼でした。昔は「富士鉄」という名称で、それが統合されて「新日鐵」になりましたが、その大きな工場があるんですよ。そして、新日鐵で働いている人も多く、自分の通っていた中学校の近くには新日鐵の社宅(アパート)が多く建っていて、クラスでも2割から多くて3割くらいが、新日鐵の職員の子供でした。 そのお母さん方の話の中で有名なのが「うちのお父さん、息子に使われているんだよね」というもの。どういうことかと言うと、お父さんが新日鐵の工場で働いていて、学歴は中卒とか高卒なんです。で、そこの息子さんが勉強を頑張って大学に行って、お父さんと同じ新日鐵に就職したんですね。すると、大卒はいわゆる幹部候補ですから、内部研修で現場を経験させるために現場の主任とかそういう地位で現場に直接配属されることがあるんだそうです。そして、たまたまその息子さんが配属されたのが、お父さんの部署だったんですね。そうすると、息子さんがお父さんの上司の立場になってしまうわけで、それを差して「お父さんが息子に使われている」という表現になるんですね。 もちろん、数年経つと、息子さんは今度はもっと上の地位になって現場から離れて行くわけですよ。そこで、お母さんの見解は「大学を出ていれば、わずかの期間でお父さんより給料は良くなるわ、危険な仕事場に出なくて良くなるわで、いいことずくめだ。これは勉強させた方が絶対良い」という事になってしまいます。その話がご近所の新日鐵職員に伝わり、それが周りのお母さん方に広まり・・・で、結局、勉強をしっかりやらせないとダメだ、という話になるんですね。 要するに「勉強をしっかりやっておいた方が得」という事を身をもって実感している訳ですよ。これだもん、お母さんは子供に一生懸命勉強させるようになりますよね。
じゃあ、小樽は? というと、これもまた、ちょっと傾向が異なります。 釧路だとちょっと知名度は薄いかも知れませんが、旧小樽商業高校が前身で、有名人だと最近ちょっと映画で話題になった「蟹工船」の小林多喜二や伊藤整などの文学者が出ている、それなりに名門の大学なんですね。そして、特徴的なのが、早稲田・慶応の学生でも就職が難しいといわれる一流企業に、なぜか就職出来てしまうという(ま、旧商業高校時代から綿々と続く人脈の関係で就職が有利ということなのですが)、ちょっとお得な大学なんです。一部では「小樽商船大学」と勘違いしている人がいて「どこの大学?」「小樽商大です」「あら、船乗りになるの?」という会話も当時は一般的でした。 そう言う状況にも関わらず、自分たちが小樽にいた頃は、町の人たちはみんな「小樽商科大学が好き!」という状況だったんですね。 例えば、学生同士でどこかのスナックのようなところに飲みに行くと、そこにいて先に一杯やっているおじさんから「いや、俺、商大生好きなんだよ。ほら、飲め飲め!」とおごってもらったり、焼き肉屋に行くと「これ学生さんにサービス」と言って皿が2つほど余計に出てきたり、定食屋ではご飯やおかずが大盛りになったり、と非常に待遇が良かったんです。もっと驚くのは、スピード違反で警察に捕まっても「免許に傷がついていると、就職に差し障りがあるでしょ(当時、一流企業ではそういう点も見られていた)」ということで、注意だけで切符を切られずに済んでいたんです。本当に「町をあげて商大生を応援する」という状況だったんですよ。 で、飲み屋でおごってくれたおじさんの話を聞いていると「実は、おれも商大を目指していたんだけど、俺は勉強できなかったから行けなかったもんな〜」とか「うちの息子にも商大に行ってもらいたかった」とか、地元の年輩のおばさんの話では「北大は元々農学校だから、何となく学生さんが汚らしかったんだけど、商大の学生さんはこぎれいでハイカラな感じの人が多かった」という話も出てきていて、まあ、要するに商大が「あこがれの的」とか「目標」だったんですね。で、そこに行くためには、しっかり勉強しなければならないんだよ、という事がしっかり定着しているんです。
釧路の場合、教育大があって、過去には教育大生から飲み屋でおごってもらったという話も聞いたことがありますが、町をあげて応援するという状況ではないように感じますし、教育大目指して一生懸命勉強をしてもらうよ、という話も、全体的に定着している話ではないように感じます。
ということで、どうやら、地域の学力を向上させるのは、以上の2点。 学力が高い方が得である、ということを実感する機会に恵まれているかどうか、と、目標として存在する学校が存在するかどうか、というところが地域の学力に対する認識の違いを生んでいるのではないでしょうか。
ただ、最近では一般的に「学力が高いと得」とはなかなか思ってもらえないようです。というのは、近所や知り合いの方の高校の進学先は結構、お母さん方も知っているようなのですが、そこから先の就職となると、あまり情報がないようです。どうやら、「うちの子、就職浪人なんです」とか「パートやアルバイトしか出来なかった」なんていう話は、お母さんの方でも積極的に言わないようで、話にのぼるのは「○○高校のような学力の低いところでも、良い就職先に採用された」という、良い方の話が主流。これでは、学力が低くても大丈夫と思ってしまいますね。
実際に、データとして発表されている高校の状況を見てみると、市内普通科最低の東高校では、高卒の就職希望の場合、正規雇用と非正規雇用を合わせて45名、パートやアルバイトも出来なかった生徒は41名と約半数。就職に有利と思われている明輝でも、高卒で19名がパートもアルバイトも出来ていないということです。そして、こういう情報をもう少し親に浸透させていかなければならないと思っているのですが、残念ながら義務教育の間に、学校の先生からそういう話が出るということはほとんどありません。みんな知らないんですよ。 自分が受け持っている生徒のお父さん・お母さんにこのことをお話しすると、みんな「え?」っと驚くんですよ。で、こういう話を聞いたら、みんな「これは勉強を頑張ってもらって、北陽以上に行くようにしないと」と感じるんです。そして、みんながこういう情報を共有して、生徒が一生懸命勉強するようになっていけば、全体の質が上がっていきますから、たとえ東や明輝に進学しても、もっと就職状況が良くなるはずなんです。「隠す」や「知らせない」ということ自体が「悪」なんですよ。
そして、義務教育に携わっている先生に、もっと生徒の将来の事を考えて欲しいのです。生徒の将来を考えている先生は、必ず、生徒の就職から逆算し「今、何が必要か」を真剣に考えて、単に授業や部活・学校行事だけにとらわれず、いわゆる「キャリア教育」の部分にまで目を向けるはずなんです。文部科学省や教育委員会が「キャリア教育」について指示を出さなくても、普通にそういう教育がなされるはずなんです。
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