これも2013年に書いた内容です。ただ、正直に言うと、今もこの方式はあまり変わっていません。ですから、塾などで、最初に基本的な内容を習ってから学校の授業を受けている子と、いきなり学校の勉強からスタートする子では、その段階で理解力に差が出ると思われる方式なんです。
結果、今でも「塾に通えないから、勉強が出来るようにならない」なんていう話が出てくるのだと思っていてください。
<面倒なところからスタートすると、やる気を削ぐんです>
「かけ算の九九」って、何で「九九」って言うの? という話です。
実は、昔、かけ算の九九を勉強する際、身分の高いものたちが、この「かけ算の九九」の計算方法を自分たちで独占しようと、庶民がパッと聞いてもすぐに分からないようにするために、2×1=2 からではなく、9×9=81 の後ろの面倒な方から順に覚えたため、その一番最初の「九九」をとって「かけ算の九九」と言うようになったんだそうです。
要するに「難しそうに見えたり、面倒そうに見えるようにしておけば、身につきづらくなる」という事を昔の人は経験上知っていたということなんですね。
で、ここで何を言いたいか、というと、現在の教科書、導入部分が、この「面倒くさい」ところからスタートしているということなんです。
例えば、単に計算を習得しようと思っても、まず最初に「どうやって計算したら、答えが出せるかな?」なんて事を最初に考えさせて、それで、子ども達が教科書の内容を盗み見したり、あげくの果てには「どうやってやった?」と周りの子ども達としゃべってしまい、完全に集中力を切らしてしまってから、本題の計算の仕方を習うという方式なんですね。これだと、身につくものも身につきません。
子ども達の学力が低い〜それも、この低学力が全国的に蔓延しているということは、単に、一部の地域だけが指導法が悪いのではなく、全国的に扱っているものが悪い、すなわち、全国で普及している教科書自体に問題がある、と考えた方が、正しいんです。
これが従来は、そこの単元で習う計算方法に必要な「以前に習った内容を復習」し、その次に、計算方法をきちんと教えて、その反復練習。子ども達が集中力を切らす前に、きちんとした計算方法を教え、まず、そこをきちんと出来るようにしてあげる、という方式だったんです。子ども達が理解しやすいところから入っていって、徐々に、新しい内容をプラスしていく。こういう「子ども達が身につきやすい手順で教えていった」んですね。
そして、もし、思考力を付けるとしたら、そこから発展的な学習として「さらに要領の良い計算方法はあるだろうか?」などの問いかけで「考えさせる」方が、思考力を付ける意味においても、計算を速く正確に出来るようにするためにも、効果の高い方法・手順なんですね。
そして、ここが現在逆転してしまっていて、昔の「庶民に分かりづらくしてやろう」方式に成り下がっているんです。
ですから、今の教科書の執筆陣は「子ども達が身につきやすい教科書を作ろう」ではなく、子ども達無視の、執筆者の偏った主張である「考える力を養おう」で作られていて、子ども達にとっては「勉強内容が分かりづらくなる教科書」「勉強が嫌いになる教科書」「学力低下を生み出す教科書」になっていると考えてください。
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