top of page
  • markun5

「読書」で相手の「気持ち」を知ろう

 これも2015年に書いた内容です。

 文章で出てくる「顔を真っ赤にした」の部分は、別の項目で書いていたんですが、学力が極端に低かった2010年のあたり(数学でいうと連立方程式の加減法などの一番基本の計算ができていれば通知表に「5」がついていた頃)に自分が受け持っていた生徒に聞いた内容を書いています。

 このときには「顔が赤い」を「風邪をひいて熱がある」という意味で考えていた子は一人だけではなく、ちょっと国語力が低い子は、ほとんどが「風邪」と考えていました。


<「読書」と「気持ち」>

 これ、自分より読解力のある人には、釈迦に説法のようになるかも知れないので、ずっと後回しにしていたんですが、先日のテレビの報道で、危険ドラッグを使用し女性を襲った男が、裁判での質問に「被害者じゃないから、被害者の気持ちなんて分からない」という発言をしていたのを見て、やっぱりな〜と思った次第。これ学校だと「俺、いじめられた事が無いから、いじめられているやつの気持ちなんか分からない」なんていう話もこれから報道されることになるだろうし、特に「反省しました」が全く反省にならなっていないと感じてしまったりするのも、こういう「気持ちを理解しようとしない」という点にあるのではないか、と思い、これは、やはりコメントしておいた方がいいだろう、ということで、とりあえず、雑感としてお話しようと思います。


 まず、登場人物の気持ちを理解しよう、というところの理由は3つ。 1 読書を通じて、周りの人の気持ちを理解できるようになろう。 2 本の内容に入り込めるようにしよう。 3 文章をより楽しめるようにしよう。


 このうち、2と3は読書好きにするための方法なんですよね。「読書をドンドンしよう」と言いながら「気持ちなんかどうでもいい」というような事になってしまうと、子供を読書好きにすることは半分不可能なんですね。


 ここで「2」について、まず触れますが、これは、登場人物の気持ちになりきらないと、本にのめり込めないんです。小さい子供が「仮面ライダー」や「プリキュア」の真似をするのも、見た目が格好いいというのもありますが、それと合わせて「悪を倒す」という「正義感という気持ちも部分」に反応しているから起きる現象なんです。こういうふうに、自分が主人公になりきったりして、その話の中にのめり込んでいくわけですよ。だから、本を読んで、登場人物の気持ちが分からないと、お話を読んでも、ちょっと面白くない、ということになってしまいます。


 また「3」については、この部分、実は、作者がものすごくこだわっている部分でもあるんです。要するに、「純文学」と言われるジャンルの小説って、大抵は、主人公の微妙な心の動き〜葛藤など〜に焦点を当てて、それをどのように表現しようか、というところに精力を注いで書いていますから、それが分からないと、そういう文学には手を出さないようになってしまうんですね。そうなると、小学生のテキストなどに出てくる「宮本輝」さんの小説などは、読んだところで、書いている内容について皆目見当がつかない、ということになっていきます。


 そこで、気持ちをどのように理解していくのか、その段階についてお話しますが、まずは、子供が本を読み始めたときの状況。この場合、大抵、読んでいる本のレベルも「○○ちゃんは、悲しく思いました」などと、直接、その感情を書いている場合が多いですから、だから、そのまま、悲しく思ったんだね、でいいと思いますよ。子供さん本人に「悲しい経験」があるなら、それとかぶらせてもいいですし。要するに、ここでは「ざっくりと、嬉しいのか・悲しいのか」というような、気持ちの方向性を読みとれればいいのではないでしょうか。あとは、子供さんがいろいろな事を話してきても、方向が合っていればすべてオーケーでしょう。

 それが学年が進むにつれて、気持ちの強さ「少し嬉しく思ったのか、すごく嬉しかったのか」という部分や、同じ嬉しいでも「テストで満点を取ったときのうれしさ」と「欲しいものを買ってもらったときのうれしさ」とは微妙に違うと思いますから、そういう、同じ「うれしさ」でも、微妙に違うところがあるということを感じ取れればいいでしょうか。  そして、高学年になると、こういう感情を文章の中のどこから読みとるか〜「直接の心理描写」か「行動や状況」か「背景への投影」か、という文章を読むテクニックを身につけていくことになりますね。


 結局、その登場人物本人ではないですし、もちろん、自分が書いた文章でもないですから、完全に「感情が一致する」ということはあり得ません。ですが、その感情の「ダブる部分」を増やしていく事は可能です。また、作者が意図していない部分でも、読み手によっては、別の感情を感じることもあるでしょう。それはそれで、別物ですし、極端に言うと、読み手が別の感情を感じるような文章であれば、それは「作者が稚拙だった」という方が適切ではないかと思います。少なくても、自ら「作家」と称しているのであれば、そのくらい文章に責任を持つのが作家としての使命であるような気がしますね。


 さて、ここで一つ苦言を呈しますが、こうやって、主人公の気持ちを読みとろうと思った場合、やはり「語彙」~ここでは、その言葉の指している状況だと思ってください~が大切になります。以前、書いたことがありますが、 「顔を真っ赤にした」 という文章が出てきた場合、これ「怒っている」か「恥ずかしく思っている」かで、そのどちらになるかは文章の前後関係から読みとれると思いますが、「風邪をひいて熱がある」と判断する子は、文章の内容や登場人物の気持ちを読みとることは出来ません。おそらく「気持ちなんか分からない」と言っている子のほとんどは、この「語彙」力不足で、相手の感情や文章の内容を判断できないまま育っていってしまったのかな、と思います。そして、こういうのは、ただ読ませているだけでは理解出来るようにはならない、と思っていた方が適切。


 朝読書がそれほど効果がない~国語の学力が一向に上がっていかないのは、こういう語彙から読み取る表現をきちんと理解させず、ただ読ませているだけでお終いになっているからではないでしょうか。

閲覧数:4回0件のコメント

最新記事

すべて表示

説明は一気に最後まで

子供にキチンと話を聞かせられるようになったら、次のステップは「よどみなく最後まで説明しきってしまう」こと。 例えば、お母さん方でも、経験があると思いますが、誰かと真剣に話をしていたとき、ちょっと電話が入ったのでそちらに出てから、もう一度、さっきの続きを・・・と思ったとたん、「どこまで、話しましたっけ?」と言いだし、結局、その後は、あまり話しに乗り気にならず、白けた感じで終わってしまったこと、ありま

計算は「正確に、速く」

計算は「速く正確に」と言う言葉をよく聞かされていたと思いますが、これは、非常に重要です。現在の子供たちは、「思考力を強化」などと言われ、時間に余裕を持たせられる事が多いせいか、計算のスピードが非常に遅くなってきています。 ところが、こういった単純作業のスピードアップはとても大切なことで、天才と言われた野口英世やアインシュタインなども、実験や計算のような作業の速さと正確さは、他の追随を許さなかったと

子供の雰囲気に左右されない

若手の先生にありがち(中にはベテランでも?)だと思うのですが、生徒が割と積極的で一生懸命やっているクラスでは「調子よく授業が出来る」けど、生徒が乗り気にならないクラスでは「授業があんまりパッとしない」ということになる傾向にあると思います。これは、裏を返せば単純に「子供の雰囲気に流されている」状況であると判断しましょう。 これが指導力がしっかりしている先生になると、生徒の状況に関わらず「きっちりした

記事: Blog2_Post
bottom of page