今回も2013年に書いた内容です。
実は、基礎学力保障条例を作るときに、市議の方で一般の人の意見が書き込める掲示板を用意し、そこに意見を書いてもらったところ、反対派の人たちがこぞってそこに書き込みをしたんですね。
もちろん、反対派の意図は、たくさん反対意見を書き「それが市民の意見だ」とやりたいわけですよ。
それで、こちらの方では、そういう流れを止めるために、反論が出づらいように話を書いていくことになりました。
今回は、その掲示板に書かれた意見に対するお話と思って読んでください。
<「勉強が悪」のような考え方をする人っていったい・・・>
以前書いた大学教授もそうですが「勉強よりも精神が大事」や「勉強すると性格が悪くなる」ような感覚の発言や「学力より生きる力が大事」というような「勉強をすると、生きていけなくなる」というような発言。なんか、おかしくないですか? 実際には勉強をきちんとやっている子の方が「敬語」もきちんと使えるし、就職についても有利に進むし、言っていることが変だろうさ。
で、これって、よくよく考えると、自分たちが子供の頃に見た、勉強を一生懸命やっているやつが「悪役」で、部活でラグビー辺りをやっている生徒に改心させられるっていう流れの「学園ドラマ」の感覚そのものだと思うわけですよ。そんな現実にあり得ないようなテレビに影響されている人が、教育を語るって、どうなの? っていう話です。
例えば、身の回りの物を見てご覧なさいって。あなたの使っている携帯電話、勉強もしないでフラフラしているやつに作れますか? パソコンやゲーム機、家電、空力抵抗を考えたデザインで燃費の良くなった車、みんな勉強をしっかりやった人間が設計図を引いて作っているんですよ。あなたが病気になったときに行くお医者さん、どれだけ勉強している人たちなのか、知っているでしょうに。 一生懸命勉強している人におんぶに抱っこの状況の癖に、なんで勉強するやつの事を悪く言う。なんで学力を上げようとするのに反対するんだ、って言う話ですよ。だから、学力向上に反対するやつは、医者に行くな、携帯も使うな、ゲームもするな、少しは「ありがたみ」を感じなさい、という話ですよ。
そしてね、ゆがんだ色眼鏡で勉強の事を見ているやつに限って、今、自分のおかれている便利な生活が当たり前のように手に入っていると思っているんだ。
今のお父さん・お母さんの祖父母の世代は「世の中の役に立つために、若いうちにきちんと勉強しておきなさい」と子供や孫に言うのが当たり前で、少なくても団塊の世代あたりの人たちまでは、勉強が大事ということを聞かされて育って来た人が多いのさ。だから、団塊の世代の人たちの技術力ってすごく高くて、それが日本を支えて来たんでしょうに。 ちなみに、今の50代後半から60代の人たちは、中学校の数学でサイン・コサインをやっていた世代なんだよ。だから、当時の中卒って言ったって、今の高校の前半レベルの授業内容まで勉強していたのさ。
だから、以前のように「勉強を一所懸命やっている人が自分たちの生活を良くしてくれているんだ」という感覚で、応援してあげるという気持ちになって行かないと、地域や国がつぶれてしまうよ。社会科の授業で、しっかり教えなきゃならないことは「日本は工業資源の無い国だから、その分、技術を高めて行かなければならない。そのために一生懸命勉強する事だ」っていうことじゃないの?
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