これも2013年に書いた内容です。
当時、生活保護率の話題が出ていて、一番が「大阪」だったものですから、ずっと大阪ばかりが取り上げられていたのですが、実は、二番目は「釧路」だったんです。オリンピックでもそうですが、やはり一番の金メダルを取った人は話題に上りやすいですが、二番目の銀メダルになると、なかなか話題になりづらい、と言う現象が、この「生活保護率」の話でも起きていました。
そして、その際、大阪・釧路、どちらでも話題になったのは「低学力」。
本文の内容にも書いていますが、「学力向上」から「自立」という流れを作ろうと、学力向上に熱心だったのは、タイトルの通り「教育関係者」より「福祉関係者」だったんですね。
<「健常者」と「障害者」>
いざ「福祉について」なんていう話になると、いろいろな考え方があって、一概に「これ」とは言い切れない部分もありますが、一番単純な発想で子供達の将来を考えてみよう、というのが、ここの項目のお話です。
最近では、介護や医療に関して興味のある子が増えていて、将来の職業を「福祉関係」と答える子も増えてきていますから、福祉関係を希望している子供さんと、お父さん・お母さんが子供さんとお話しするきっかけになれば、と思います。
そこで、まず、根本的なお話ですが、福祉とは「健常者が障害者(高齢者で介護が必要になったものを含む)を支えて行く」というもの、と捉えておくことにします。そして、健常者は「障害者」の事を考え、生活をしやすいようにしようということで、バリアフリーなどの発想に向かい、障害者は「健常者」の事を考え、なるべく健常者の負担を軽減しようということで、自立に向けた活動を行っている、というのが現状と考えます。要するに、お互いに相手の事を考え、いわゆる「持ちつ、持たれつ」の発想に近いのが、日本での福祉だろう、ということですね。
さて、実は、この福祉の問題に大きく関わっているのが「低学力」の問題なんです。
ある人のお話では、教育に関して一番熱心なのは、実は「教育関係」ではなく「福祉関係」なんだということでした。
どういう事かというと、本来、障害者を支えるべき健常者が、低学力のため、生活保護などの福祉に頼ってしまっているという現状だから。そして、「自立」という事を考えた場合、やはり「低学力」がネックになっていて、基本的な作業が身につかず、自立していけない状況になっている、ということなんだそうです。もちろん、他にもいろいろ理由はあるのですが、他の理由の部分はやはり根本的に解決するのは難しいところがあるようです。しかし「低学力の解消」に関しては、本来のあるべき姿に戻すだけで好い訳で、すなわち、最も解決が早く、なおかつ最も効果が高い方法のようです。
当たり前といえば当たり前なんですが「1万円の半分はいくら?」と聞かれて「500円」と答えるような子であれば、障害者を支えられるような状況にはならない〜なれるかどうか、非常に難しい状態〜と思いますし、ましてや海外では、障害者にもしっかり読み書き・計算を身につけようということで、漢字の「空書き(ノートに書くのではなく、先生の真似をして、頭近くで指だけを動かす)」のように、アルファベットの「空書き」を行っていたりして、自立を促している状況なのです。
ところが、現在の日本では、例えば「漢字のカリキュラム」では、該当学年で身につけなくても良い、とか、小学校英語で「アルファベットは身につけなくてもよい」とか、健常者の学力向上や障害者の自立支援に大きく遅れた指導カリキュラムになっているんですね。おそらくは、ここが大問題でしょう。
ということで、いざ「福祉」の問題を考えたときにも、基礎学力問題は非常に大切なことなんです。そして、福祉の業務に携わる場合、さまざまな資格関係が絡んできます。その際、義務教育期間に、自力で勉強できる子になっていなければ、将来の希望は叶えられない、と思っておくといいでしょう。 障害者にとっても勉強は必要。健常者にとってはなおさら、と考えておきましょうね。
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