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markun5

「好き」はどこから来るのでしょう?

 これも2012年に書いた内容です。後半に出てくる小学生英語は、今では、必修になっていますが、当時は、こんな状況でした。


<子供さんを勉強好きにしたいなら・・・>

 中学生くらいになると、勉強が「好き」とか「嫌い」とは言っていられません。やらなければならないこととして捉えてもらわないと困るというのが、お父さん・お母さんの本音ではないでしょうか。ただ、中学生で、きちんと勉強をやる子は、小学生のときに勉強をきちんとやるようになっている子です。そして、そういう子になるためには、小学生のときには少なくても「あの科目は好き」とか「これをやるのは好き」という、ちょっとした「好き」があるのが大切なんだろうな、とは思います。それでなければ、なんでもかんでも強制にするしかありませんよね。


 それでは「どういう事が好きになるんだろうか?」と考えてみると、どうも、最初の段階〜幼児期〜は、お母さん(や周りの大人)が好きと言うものが、子供さんも「好き」なようです。そして「三つ子の魂、百まで(三才児の気持ちは、その子が百才になってもそのままである)」と言われるように、この時期に「勉強が嫌い」と周りの大人が言ってしまうと、相当、まずい状況になってしまうのではないか、と思います。


 それから、幼稚園の年中・年長さんあたりから、小学校の1、2年生辺りまでは、今度は「自分の出来ることが好き」となっていくようです。よく、この時期に「うちの子、反抗期なんですよ」と言うお母さんがいらっしゃるのですが、やはり、この頃から「自我」が出て来るんでしょうね。今まで、お母さんが「好き」と言っていたものには無条件に反応していたのに、この辺りからは、お母さんの「好き」だけでは、簡単に首を縦に振らないようになってきます。

 そうなると、この時期は「出来ることを増やしてあげること」が大切になってきます。

 で、この時期の子供さんの気持ちを考えると、一般的には、実は、こういう状況です。水泳を例にとってみると、水泳が出来る子は「泳ぐのが好き」となります。で、出来ない子は「泳げないからイヤだ」というようになります。でも、出来ない子も本当は「泳げるようになりたい」と思っています。自転車だと、補助車無しで自転車に乗れる子は「自転車に乗って遊びたい」と思うようになります。でも、補助車無しでは自転車に乗れない子は、補助車があって、自分が自転車に乗れる状況であれば「自転車に乗りたい」となりますが、そうでなければ「どっちでもいい」とか「別の遊びをしたい」となります。でも、子供さんは、本当は、補助車無しでも自転車にスイスイ乗れるようになりたい、と思っています。


 それでは、お父さん、お母さんのときには、泳げるようになるためや自転車に乗れるようになるためにどのような事をしてきたか、というと、中には結構「荒療治」方式で練習した方が多いのではないでしょうか。溺れそうになりながら泳ぐ練習をしたとか、何度も転んでいたい思いをしながら自転車に乗れるようになったとか。今では、そのような荒療治でなくても身に着ける方法が存在していたりしますから、ネットなどで調べてみるのもいいでしょう。

 そして、一度出来るようになると、それからは「好き」になって、毎日プールに行くようになったり、毎日、自転車に乗って遊ぶようになったり。また「好き」とまでは行かなくても、今現在、それをやる事に対して抵抗感が無かったりしていないでしょうか。


 勉強も同じなんです。最初はイヤがるかも知れませんが、結局、出来るようになれば「好き」になったり、最低でも、やることに対して抵抗感がなくなるんです。ですから、かけ算の九九にしても、最初、覚えることに抵抗感があって嫌がったとしても、実際にテストの問題を解いたときに「出来た」となれば、その後、喜んでやるようになったり、もしくは、勉強する事に抵抗感が無くなったりするんです。


 ところが、現在の教育では、この最初の段階の「嫌がる」という事をことさら強調し、無理矢理やらせると「子供達が勉強嫌いになる」という主張を繰り返しているのです。例えば、小学校英語なども「アルファベットを無理矢理覚えさせると英語が嫌いになるから、無理に覚えさせなくてもいい」としています。ところが、自分が子供たちと話をしている限りでは、アルファベットができる子の方が「英語が好き」と言っているんですね。逆にアルファベットが分からない子の方が「なんだか訳の分からない字が出てくるから、面白くない」となりやすいようです。結局、子供達は「自分が出来る方に寄っていく〜好きになる」ということなんです。


 そして、本当の教育というのは、この「最初に嫌がる段階」をクリアさせること。そして、出来るためには、どういう事が必要か、と言うことを学ばせる事にあると思うのです。嫌がることを避けることばかりを繰り返していると、その先にあるもの〜学力・体力・達成感〜が得られなくなってしまいます。そして、子供達に「出来ないことが出来るようになった」という喜びを掴ませる事が、教える仕事に携わっている人の一番大きな仕事であると思っています。

 「好き」は「出来る」から生まれる。

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