これも2014年に書いた内容です。
<似て非なるもの>
「思いつく」と「考える」。似ているようですが、自分は、この2つに一線を引いて考えています。
「思いつく」というのは、単に「こういうふうにしたらいいんじゃないかな?」「ひょっとしたら、これが答えじゃないかな?」と思いついただけ。
ところが「考える」となると「これは、答えとして合っているんだろうか」と「思いついた事が正しいかどうか検討し、判断し正答を導く」といった過程が存在します。
もうちょっと分かりやすく、実際のテストの場合を例にとってみると、いわゆる「適当に思いついた答えを書いたら、たまたま合っていた」なんていうのは、単なる「思いつき」なんです。「記号を適当に選んで書いたら合っていた」というのと変わりません。
それに対し「考えて答えを出す」には2つのパターンがあって
まず、一つは
「途中の過程を順に進めていき、最終的に出てきたものが答え」
となるパターンと、
もう一つは
「これが答えじゃないかな?」と思いついたときに「それが正しいかどうか、きちんと吟味して、自信を持って答えを書く」場合は、しっかり「考えた」ということになるんです。
要するに「結論が先になるか、後になるか」の違いです。
もちろん、テストでは、同じ答えを書いたら、どちらも○で点数がきますが、「おれ、適当に答えを書いたら、合ってた〜」と喜んでいる子と「きちんと正答となる理由を考えた子」とでは、その能力に大きな差がある。そして、正直な話「思いつきで答えが合っていたところで、それはその子の学力の向上には、ほとんど結びつかない」ということなんです。
ところが、この「単なる思いつき」を「自分で考えた」事だと思っている子が少なくありません。要するに、適当に答えを書いて合っていたら、自分はきちんと考えて答えを出したような気分になって大喜びなんです。でも、こんな事を繰り返したところで、なんのメリットもありません。
そして、子供達がこういう気分になってしまう背景には、小中学校のときの授業のあり方に問題があるのではないか、と思っています。
すなわち、何の予備知識や下地もなく「ただ考えろ」と言って、実は「考える」ではなく「思いつき」を優先する授業を行う、いわゆる「問題解決学習」の意味を取り違えた「似非問題解決学習」の横行により、子供達から「考える」という行為を奪ってしまっているのではないか、ということです。
そして「思いつき」か「きちんと考えた」のかをハッキリさせる方法があります。それは「なぜ、そういう答えになったのか」ということを質問すること。
きちんと考えた子は「その途中の過程」を話すことができますが「単なる思い付き」のこは「そう思ったから」と言い出したり、途中の過程が無いので「そのまま黙ってしまう」ということになります。
「考える」というのは「思いつく」の先にあるもの。
そして、単に「思いつきで適当に答えただけ」であるにも関わらず「よく考えたね〜」と誉めるような事をしてしまっては、その子は、そこから伸びて行かなくなります。
現在では、学力上位層が極端に薄くなっていますが、実は、学校でテストの順位が上にいる子でも、理由がきちんと答えられない子が多くなってきています。「筋道を立てる」という頭の働きが薄い、もしくは、全くない、という子が極端に増えてきているように感じます。
ですから、理由を確認せずに「何でもかんでも褒めて育てる」と言うことになると、却って、子供たちの考える力を奪うことになるということ。そして、それが高じると、勉強の内容が複雑になってくるにしたがって、勉強についていけない子が増え、そのことが「自分に自信のない子」が増えていく原因になる、と思ってください。
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