これも、2014年に書いた内容ですが、これは、未だに直っていないというのが実情です。子供さんの様子を気を付けて見ていてください。
<適当な子を助長する>
以前にも書きましたが、適当に答えてしまう子が最近増えています。
例えば、算数の単位の問題で生徒が「2キログラム」を「200グラム」と答えて「それは違うよ」と言うと「じゃあ、2000グラム」と答えたり、計算で1.7と答えて「それ、違う」と言うと、何の検証もせず「それじゃあ0.17」と答えてしまったりするんですね。要するに、最初の段階できちんと出来なくても、言い直して合っていたらそれでオーケー。そして、その言い直し方も何の検証も無しに「間違えたら0を付け足せばいいや」とか「小数点をずらせばいいや」とか、そんな感覚なんです。
それで、実は、自分は、この現象は「誉め方」に原因があると思っているんです。
実は、実際に、学校の授業を見学したときのことですが、
「1キロは何グラムですか?」
「100グラム」
「それは、ちょっと違うかな~」
「じゃあ、1000グラム?」
「はい、そうです、素晴らしい!」
実際の例とは内容を少し変えていますが、このようなことが頻繁に起きているんです。
要するに、最初に間違えていても、言い換えて合っていれば「そうだよ、良くできたね」と誉められてしまっているため、子供達は「言い直して合っていたら、それでいいんだ」という感覚になってしまっているようなんですね。だから、物事を正確にきちんと覚えようとしないんです。
これが、計算の答えになると「きちんとやり直して答えをもう一度確認しなければダメだ」と言われてやり直してみて「適当に答えたものと同じ答え」になろうものなら「ほら、さっきので合ってるじゃん」と不満な顔でむくれるんです。
このように「下手な誉め方」をしているために「きちんとした知識が無くても、適当に答えて、間違っていれば、適当に直してしまえば良い」「最初にきちんと出来なくても、言い直して合っていれば○」という感覚になってしまっている、と考えるといいと思います。これでは学力は上がりません。
ここで、「誉め方」と「叱り方」を対比してみますが、もしも、下手な叱り方でも何でもいいですが、適当な事をやったときに叱られていれば、少なくても「適当な事はやってはいけない」という感覚にはなりますから、後で注意したときも割と素直に直すようになるんです。ところが、これで「誉められている」と、子供さんの感覚は「これでいいんだ」となってしまうんですね。すなわち「これがダメな事なんだ」と気づかずにずっと過ごしてしまうということなんです。当然、直そうと思って注意をすると、非常に反発してきます。
したがって、自分に言わせると、叱れば最低限ダメなことに気づきますが、誉められるとダメなことに気づかずそのまま行ってしまう訳で、それがタイトルの「下手な誉め方は下手な叱り方より質が悪い」ということになっているわけです。
叱るときには「物事を起こした経緯などを確認して、きちんと叱る」ということであれば、当然、誉める場合も「途中の経緯を確認して、きちんと誉める」という事が大切です。叱られるより誉められる方がいいから、と言って何でもかんでも安易に誉めるという事は決していいことではありません。「叱る」も「誉める」もその子に対する評価ですから、叱る基準があるならば、誉める基準もきちんと用意しなければならないんですね。
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