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  • markun5

「うちの子、やれば出来る子なんですよ」の失敗

 これも2013年に書いた内容です。

 実は、この当時、中学校3年生の保護者の方でも「うちの子、やれば出来るんです」と言う人が多かったんです。ですから、高校入試直前でも、少し頑張れば、志望校に受かるだけの学力に到達する、と本気で思っていた人も多かったんですね。

 そのために書いた内容だと思ってください。


<「やれば出来る」は小4まで>

 中学生になってからでも「うちの子、やれば出来る子なんですよ」「興味を持ったことは集中して取り組むので、興味をもってくれれば何とかなると思うんです」と思っているお母さん、いませんか? 結論から言うと、たぶん、もう、やっても出来ません。今後、興味を持つこともありません。

 「やれば出来る」と思っていいのは、小学校4年生までの、それこそ「少し勉強すれば、何とかなる」というレベルの学習内容までです。ここを過ぎてからの勉強は、基礎がしっかりしていないと積み重なって行きません。特に、国語・算数(数学)は、完全にアウトと思ってください。具体的に言うと、小数の計算が出来ない子に「%」の内容を教えたところで、「ちょっとやったらすぐに出来る」状況にはならない、ということなんです。


 そして、「やればすぐに出来る」とずっと聞かされて過ごして来た子は、入試直前になっても「ちょっとやれば、すぐに高校の合格ラインに達する」と思っている場合が多く、勉強しなければならなくなっても、なかなか勉強に手を着けようとしない、もしくは、何を勉強していいかすら分からなくなっている、と考えた方がいいと思います。

 さらに、この状況で就職した場合、能力が低く、自分の思ったとおりの事が出来ない状況になると、今まで「全能」と思っていた自分の実際の姿に気づき絶望感を持つか、もしくは、「自分は全能なのに通用しないのは周りが悪い」と考えるようになる可能性があります。

 今までいい子だったのが、とんでもない事をやらかしてしまう、もしくは、引きこもってしまう、というところに直結しているのは、この点ではないだろうか、と、自分は推測しています。


 ですから、よく、小学校卒業文集に書くような「野球選手になりたい」とか「宇宙飛行士になりたい」という感覚に近いものを持ったまま、幼い感覚のまま、中学・高校に行くのは、自分は非常に危険ではないか、と思っています。


 少なくても小学校5年生あたりからは「実力は努力の対価」である、という感覚に少しずつシフトさせてあげなければならないのではないか、と思っています。安易に何でも「誉める」のではなく、「努力と結果をセットで誉める」というスタイルに移行することが、小学校高学年から必要なのでしょうね。

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