これも2014年に書いた内容です。
この頃の学校の校長の口癖が「知・徳・体のバランスが大事」というもの。ところが、この当時の釧路では、学力テストの結果が低い、運動能力の測定でも結果が振るわない、と「低い方でバランスよくなっていた」というもの。そんな状況で「バランスよく」と言われたところで納得できないでしょ、という話です。
<「バランス」より「向上」>
ある学校での校長との会話。
我々「学力を伸ばす事は大事ですよね〜」 校長「いや、それよりも、知・徳・体のバランスですよ」
さて、この会話から分かること。校長は「学力を伸ばそうとは思っていない〜体力が低ければ学力も低いことが大事」と言っているんですね。要するに高めようという気は全くない事が伺えます。もしも、子供達の能力を上げようと思っている人なら、上記の会話はこのようになります。
我々「学力を伸ばす事は大事ですよね〜」 校長「そうです。そして徳や体力も伸ばしてバランス良くする事が大事です」
違いが分かるでしょうか? 子供達の能力を伸ばそうと思っている校長なら「学力を伸ばす」という言葉に「肯定」の「そうです」から入りますが、伸ばそうという気がない校長は否定の「いや」と言ってから自分の持論を述べるんです。ここが決定的な違いなんです。だから、この校長「学力を伸ばす気がないのか?」と聞かれたら「いや、自分はそういうつもりでは言っていない」と反論するのでしょうが、実際は伸ばそういう気は全くないんですね。もしくは「伸ばそうと思っても伸ばせない」ので、うまく行かなかったときの言い訳を述べているに過ぎません。
そして、もっと大事な事は、基本的に「バランス」よりも「伸ばす」事を優先するのが、まともな発想、と考えておいていいでしょう。
「人間であれば得意もある、不得意もある」。だから、得意な面を伸ばし、不得意を減らすという努力をしようというのが当たり前で、当然、こうなると「得意・不得意」のギャップは埋まらず、バランス良くなんていうことは出来ません。でも、それでいいんじゃないですか。勉強の得意な子は、勉強を頑張ればいいし、運動の得意な子は運動面を伸ばせばいいし。ただ、勉強の不得意な子でも最低限「小学校漢字の読み書きは出来るようにしよう」とか、運動の不得意な子でも「転んだときに頭から地面に突っ込んで行かないように、きちんと手をつくことが出来るようにしよう」とか。そうやって克服させていけばいいじゃないですか。それを無理矢理「バランス」に持っていって、何か良いことあるんですか?
ましてや、得意な所を伸ばそうとせずに、どうやって個性を作るの? みんなバランス良く育って、個性って出るんですか?
これから、卒業式や入学式で、お父さん・お母さん方も「校長のお話」を聞くことがあると思います。そのときに「子供達の力を可能な限り伸ばす」という主旨の発言をしている校長はオーケー。バランスの話をした校長はダメ校長、と判断して構いません。もちろん、バランスの話をした校長の学校では、子供さんの学力のみならず、家庭での学修習慣に付随する「家庭での生活習慣」にも影響が出ますから、家庭で子供さんときちんと約束事を決め、勉強内容で分からないところの復習や家庭学習習慣をつけて行く中で、家庭での生活習慣をきちんとつけさせていってください。少なくてもこういう校長であれば「学校に任せておけば大丈夫」とは思わない方がいいでしょう。
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