前の項目で「詰め込み」について書きました。それで、これは当たり前のことなのですが「詰め込み」とは「頭に物事を入れる」ということです。このように「知識を頭に詰め込むこと」をインプットというんですね。これとは逆に、テストなどで頭に入っているものを引き出すことをアウトプットと言います。もちろん「子供たちに考えさせる」というのは、頭に入っている知識や経験から、答えを導き出すわけですから、これはアウトプットになりますね。
それで、これも当たり前なのですが、徳川家康を全く知らない子に「江戸幕府を開いた最初の将軍はだれでしょう?」なんて聞いても答えられません。数学で言うと、ルートの計算を知らない子に「ルートの計算問題をやりなさい」と言っても、できません。
ただ、実際に算数や数学で「考える問題」となった場合「何が基本的な知識や経験なのか」ということが分かりづらいものなのです。
例えば、少し前の項目で「%」を身に着ける話を書きましたが、その際には「小数の掛け算・割り算」が必要だったり「倍の文章問題の感覚」が必要だったりするのですね。ところが、そこまで分かっている人は、あまりいないようです。小学校1年生の「一桁の足し算」であっても「数を数えられない子」は、その計算ができません。「数を数える」という知識がなければできないんです。
このように「考える問題」でも必ず「基本的な知識や経験が必要」なんですね。
ですから「考える問題」をやらせるときにも、必ず最初は、その問題を考えるために必要な知識のインプットが行われなければならないものなのです。でも、学校の授業はどうやらそうなっていないようです。
どういう事かというと、本来であれば、最初に先生がきちんと説明して、子供たちに「知識をインプットしなければならない」ときに「さあ、みんなで考えてみよう」と、インプットではなくアウトプットにしてしまう人がいるんですよ。これじゃあ、必要な知識の無い状態で考えるわけですから、子供たち、答えられないですよね。
どうやら、「考えるための必要な知識」という部分が捉えられないため、先生が大人の感覚で「自分が考えられるから、子供たちも考えられるだろう」と安易に「考えよう」を連発するようなんです。これだとインプットとアウトプットが完全に逆転してしまっていますから、授業としては完全にアウトですよ。
また、小学校の算数などは、教科書自体がそういう作りになっている部分もあり「これじゃあ、子供たちの学力が崩壊するよな~」と思わず、絶句してしまうところもあるんです。
それで、実際にそういう授業を見てみると、案の定、もともと答えられるだけの知識や経験のある子だけが答え、その他の生徒は教科書をこっそり見てカンニングしたり、もう考えるのを完全に放棄してしまって、悪戯に専念する子も出てきたりして、ちょっと酷い状況なんです。おまけに、悪戯をしようとしている子などは、先生の様子をしっかり見て、先生が黒板の方を向いた隙に悪戯をするものですから、常に真剣な目で先生の様子を見ているんですよ。それで「私の授業を子供たちは目を輝かせて見ている」という話をする先生がいるのですが、ひょっとしたら、この「悪戯をしようとして先生の様子をうかがっている子」のことを勘違いして「目が輝いている」と言っているのではないでしょうか。もし、それだと笑い話ですよね。
ですから、そういう人が書いた本を読んで、その真似をしようと思っても、全く無意味です。
それで、お父さん・お母さんが子供さんに勉強を教えるときは、特に算数・数学では、ただ、闇雲に「考えろ」と言っても、分からないものは分からないですから、そういう時には、文章の意味を教えたり「こういうときは、こうやって考えるんだよ」と、考え方の道筋を教えるようにしてください。それで子供さんが理解できないようなら、まだ、そこまで子供さんの能力が追い付いていないと判断して、その場は一旦、保留。そして、全く目先の違う別の問題を解かせるようにしていってください。
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