2011年に書いた内容で、当時は、中学生を受け持つときに、学年順位の下位3割に当たる子であれば「漢字の読み書きは、小学校2,3年からやり直さないと厳しいかな」と心づもりしたものです。
実際に当時はこのレベルの子に「姉・妹」を書かせると「どっちが姉で、どっちが妹だったっけ?」と悩む子が大半。おもしろいのは「塩」で、当時の子供たちは、海をイメージするせいか、大抵の子が「つちへん」を「さんずい」にしていました。
ただ、たぶん、こういう状況は、釧路だけだったのではないかと思っています。
その後は、小学校で漢字を強化していったおかげで、かなり漢字については、まともになってきていますが、まだ、該当学年の感じが怪しい子も多いと思います。
<「国語力が低い」というレベルを超えているのでは?>
もうかなり前に亡くなりましたが、うちの母方の祖母は田舎育ちだったせいもあるのか、最終学歴が尋常小学校で、当時は農繁期や漁の最盛期になると手伝いにかり出され、その小学校すらまともに通っていなかったということでした。ですから、字も、ひらがな・カタカナと簡単な漢字しか読み書きできず、こちらから手紙を送っても、難しい漢字は人に聞いて意味を教えてもらいながら読んでいたそうで、その祖母から手紙が送られてきた日には「よほどの事があったに違いない」と思われるような状況でした。こういう状況でしたから、当時、自分の叔父・叔母は「うちのばあさん、文盲だから、手紙を出すときは、あまり難しい字を書いて送るな」と言っていました。
まあ、そういう祖母ですから「自分が字の読み書きが思うように出来ない」事にひけめがあったようで、子供達(自分の母や叔父・叔母にあたります)には、そういう思いをさせたくなかったのでしょう。学校できちんと字を習ってくるのは「本当にありがたいことなんだから、一生懸命勉強しなさい」と言っていたそうです。
で、自分が見る限り、うちの祖母と同じくらいの、小学校2・3年生の漢字がすでに怪しいというレベルの子は、釧路では下位2割くらいに当たると思います。ということは、このレベルの子は「国語力が低い」というレベルを通り越して、すでに「文盲」の部類に入るのではないか、ということです。少なくても、うちの祖母と同時期に生きていたら、たぶん「文盲」の扱いを受けていたでしょう。 そして、うちの祖母がまだ生きていたとしたら、今の学校の状況を見て「字をきちんと教えてくれないのだったら、ありがたみも何もないねえ〜」なんて言っていたのではないかと思います。
また、高度成長期の日本が欧米に驚かれたエピソードとして残っているのが「日本人は乞食でも新聞を読む」というもの。どうやら、欧米では「字が読めないような学のない人間が物乞いをする」と思っていたようで、その「物乞いをするような人間までが新聞を読むなんて、日本という国はとんでもないくらい教育レベルが高い」という評価を受けていたんですね。逆に今の驚くエピソードは「大学に行っても新聞が読めない」というもの。現在、レベルが低めの大学に通っている学生は、昔の物乞い以下のレベルということですよね。「大学の未就職者が2割にのぼる」と先日の新聞に書いてありましたが、当然の結果ということでしょうか。昔の物乞い以下のレベルの学生を雇おうという企業はないでしょうね。
文盲状態の人が将来どういう生き方をするか、というのも、アメリカを例に取って考えると分かると思います。アメリカは識字率が日本ほど高くなく、まだ「文盲」といわれる人たちがいるのですが、以前、テレビで見た光景は、教会の恵みに頼って生活している姿で、仕事も日雇いのようなものが週に数回ある程度でした。なんだか、生活保護に頼っている姿や仕事がなかなか見つからない派遣労働者の生活に似ているような気がします。
ですから、今の教育の急務は「まず、子供達を文盲状態から脱出させること」です。この点が、子供の将来に大きく影響していると考えて、早急に手を打たなければならないところです。教育委員会でも、独自のテストを用意するなり、漢字検定を利用するなりして、釧路の子供達の識字率調査を行って欲しいと思います。
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