今回は2014年の2月9日に行われた講演会の内容です。
冒頭の「市教委」の話は、道教委のトップクラスの方が講演会にいらっしゃったにも関わらず、教育長が少しだけ顔を出しただけで、あとは教育委員をはじめ、市教委が誰一人来なかったということで物議をかもしたんですね。そのことについて、冒頭で少しだけ触れています。
<2月9日 道教委 武藤次長の講演>
少し前に「市教委が全然顔を出さなかった」と批判した講演会。今回は、その内容について書いていこうと思います。
さて、道教委のお話を聞くと言うのは、今回が初めてではありません。そうです。自分は、高校配置計画の地域別検討協議会を傍聴しに行っているんですね。で、そのときの印象は「毎年同じ事をいいながら結局何もせず、困ったときには、地域の事情でそのように配慮しました」で逃げているだけの人たち、というものです。ですから、今回の講演も「基礎学力問題」と謳っているものの、結局、道教委はこんな事をやっている、あんな事をやっている、と一生懸命、自分たちのやっていることの擁護に終始するのかな? と少し眉毛に唾をつけて参加しました。
講演の冒頭で、いわゆるパワーポイントでスクリーンに表示されているタイトルが「基礎学力問題のディープ・インパクト」。「お、武豊か?」と、競馬ファンならニヤッとしそうなタイトル。ただ、その下についているサブタイトルに「基礎学力軽視論が招く危険な未来」とあったんです。
それに続けて今度は道教委に寄せられる意見の数々を表示。自分たちの言う「学力をしっかり上げようよ」という意見や、いわゆる「学力向上反対派」の意見をきちんと並列して見せてくれたんです。この段階で「あれ? 今までの道教委の印象と違うな〜自分たちに都合のいいものだけ提示して、お茶を濁す事はないだろう」と感じたんですね。賛成・反対の意見については、ここのページでずっと述べてきていますから割愛しますが、そういう意見がザッと出されたと思ってください。
そして、次が全国学力テストの中で、正答率が全国平均や学力の高い県との比較でワーストだったものを表示。
ここでのお話で印象深かったのが「北海道の国語のワーストはすべて漢字なんです」ということ。そして、その中でワースト1だったのが、小学校3年生で習う「医者」だったんです。正答率を比較すると、全国では「83.1%」に対し北海道は「66.9%」。ほらほら、自分がここで書いている事は嘘じゃないでしょ。小学校の3年生の漢字の読み書きがちゃんと出来ないんです。
全道でこの正答率ですから、釧路はもうちょっと低く、おそらく60%前後ではないでしょうか。そうすると、5人中「医者」が書けるのは3人。高校で見ると東・工業・商業、それに明輝の下の方あたりまで「医者」が書けないんですよ。この時点で、もう高校生じゃないんじゃないかな、と思っちゃいますね。
算数はと言うと、ワースト3が「%」、ワースト2が「四則計算」、ワースト1が「台形の面積」。
さて、ここまで見て分かりますか? 国語でも算数でも同様なんですが、実は北海道が弱いのは「考える力」じゃないんです。単に基礎の反復練習で充分フォロー出来る内容が弱いんですね。データを見れば一目瞭然。この辺は、単に正答率だけを追いかけているだけでは気づきません。やはり他地域との比較検証が大切なんです。そういう意味で、今回の道教委の講演、今までの内容とはかなり違う物になっていました。
次に提示してくれたのは、学力テストの無回答率。要するに「問題を見ても意味が分からない、やり方が分からない」と投げ出して白紙回答をしてしまう割合ですね。
で、何とその小学校算数のワースト3に「分数÷整数」の計算が入っているんです。
この問題、北海道では約1割(9.6%)が無回答で、全国では4.2%、秋田では1.5%ですから、いかに北海道が悲惨か、ということが分かってもらえると思います。この辺、非常に良いデータを提示してもらいました。
そこで道教委はどこに目をつけたか、というと「北海道は下位層が厚い」というところなんですね。実際に全国や秋田県との比較でみて、正答者数の折れ線グラフでは、明らかに正答数の少ない方に人数が寄っている(これ、道教委のページで見ることができます)。この下位層の割合を算出してくれているんです。
基準は「全国の下位25%を想定し、そこに一番近い正答数で人数割合を比較した」ということだったんです(これも道教委のページで見ることができます)。
で、例えば、小学校国語Aであれば、全国の下位25%に一番近い正答数は8問以下。そして、その「8問以下の正答者」の割合は全国23.1%、全道26.4%、秋田9.9%です。 さて、ここで、個人的な見解を述べておきますが、この数字を見ると、全国と全道ってそんなに差がないじゃん、でも、秋田はちょっとすごいよね、という感想になろうかと思うんですね。
ところが、自分は、ちょっと違っていて、個別の問題を見ている限りでは、「小学校3年生の漢字の差」や「基本計算の習得状況で出ている差」が全国と全道の差の3%に当たっていると考えているんです。現状のままでは「この差は簡単に埋まらない差であるとして捉えるべきではないか」ということなんですね。
なおかつ、全国的にこれだけ低くなってきているということは、全国を統括している文部科学省の提示しているカリキュラムにも問題があるだろう〜すなわち、以前このコーナーでも書き、さらにラジオでもお話したところなのですが、ゆとり教育の方針として「勉強内容を該当学年で身につけなくても構わない〜次学年までに身につければいい」というものがあるのですが、実はその「ゆとりを持ってゆっくり身に着けて構わない」という基本姿勢に誤りがあるのではないか、そして、その部分の意識を変えた秋田はしっかりとできるようにしているんだろう、と思うんですね。
考えても見てください。小学国語Aというのは、国語の基本技能が中心のテストなんです。応用じゃないんですよ。であれば、全18問中8問以下の割合が高すぎる、むしろ秋田くらいの状況が「当たり前」と考えるべきだと思うんですね。
そして、その学力状況と比較して、学力テストと同時期に取られたアンケートの小学校中学校の学習習慣を比較してみようということになりました。ここで使ったのは釧路管内のデータで、顕著な例を挙げてのお話。
まず、小学校では「家で宿題を全くしていない」という回答が全国を100としてみた場合、228.6。すなわち、宿題を全くしていない割合は全国の2倍以上ということですね。それに対して「普段、全く勉強しない」という子は65.6、「休みの日に全く勉強しない」は57.1と、ここは全国の半分くらいなんです。もっと簡単に言うと「全国平均よりも釧路の子供たちは勉強をしている」ということになるんです。
さらに中学校に至っては「普段、勉強する時間が1時間より少ない」の項目が全国に対して106.7とわずかに上回っているくらいで、それ以外の「家庭での勉強について」の項目はすべて全国より良い状態なのです。
実は、書くのが遅くなりましたが、講演自体は、武藤さんが出席者の間をずっと回って歩いて、出席者の意見を聞きながらという、非常にフランクな形式の講演でした。ですから、ここでは出席者からいろいろな意見が出ました。
当然、自分も当てられたら答えられるように、いろいろと考えてみましたが、この数値、明らかに変です。この数値をそのまま読み取ると、小学生は「日頃の勉強はほかの地域よりしているんだけど、宿題だけは全然やらない」っていうことなんです。
中学生は「一生懸命勉強しているんだけど、結果が全くついてきていない」という事なんです。
おかしいでしょ。
小学生については「勉強をきちんとやるんだったら宿題もちゃんとやるはず」です。中学生もこれだけ勉強していれば、結果がついてこないなんて言うことはあり得ません。これ、絶対、他の地域ではありえないことが釧路で起こっているんですよ。
ここで、自分が今までに書いてきたことをちょっと検討してみましょう。まず、小学生です。 宿題については、過去にこのようなことを書いてきました。
・宿題を出さない。 ・宿題は出すけど、提出しなくてもよいという扱いをしているところがある。 ・子供たちの自己判断で好きなことをやってくることになっている。
これをアンケートの書くときの子供の状況と合わせてみると、宿題を出さなければ、宿題を家ですることがないので「宿題をやっていない」に○をつけるでしょう。同様に、提出しなくてもいい、と言われたらやらないですよね。好きなことをやってきなさい、と言われても「何をしていいかわからない」とやらずに、そのまま「宿題をやらない」習慣になってしまっている子が多い、と考えられます。「結局、宿題の出し方も甘ければ、チェック体制も甘い〜それも、他の地域では普通に行われていることが出来ていない」、釧路はそれが蔓延している、ということです。
そして、今度は今までどのように勉強していいのかわからない状態で中学生になり、手を動かして書くということをせずに、ただ、教科書を眺めておしまいにしたり、誰でもできる簡単なことだけやっていたり、自分で分からないところを調べることも出来ず、勉強の質が全く伴わないまま、ただ時間だけが過ぎていく、という状況になっている可能性が極めて高いわけです。これでは結果が伴わないのも当たり前ですね。
その状況を具体的に可視化してみよう(目で見てパッと分かるようにしてみよう)という事で、小学校で習う漢字がきちんと身についていない場合、小学校6年生の社会の教科書がどのように見えるのか、という事を体感してみようというお話に。
ここでは、社会の教科書に載っている文章から、該当学年の漢字を消去し、どのように見えるのか、ということをやったんですね。
最初に小学校3年生以上の漢字を消去、次に3年生までの漢字を入れ、小学校4年生以上を見えない状況にする、というふうに順に進めていったのですが、当然、小学校3、4年生の段階では、教科書のほとんどの字が隠されてしまって、全く意味不明。小学校5年生までの漢字が入った段階で、ようやく、内容が把握できるだろう、というレベルに。
ただ、これは自分の想定なのですが、小学校5年生の漢字力が5割を切っている子だと、やはり、かなりの字が隠れてしまいますから、おそらく意味は把握できないだろう。最低でも7、8割は必要かな、と感じました。
ということは、他科目の勉強を理解するためには、該当学年の漢字を少なくても7、8割習得の段階まで高めておく、そして、次学年で残りの2、3割をしっかり復習する、というレベルで指導していないとならないだろう、と思われます。
そして、自分は「語彙力」というものにプラスして「語意力」という事も大事だと常々思っています。要するに、単に漢字を知っているというだけではなく、その意味もきちんと把握していなければならないだろう、ということです。そして「考える力」の前にこういう基礎的な語彙力が大事だということも、この一事をもって理解してもらえるのではないでしょうか。もしも、小学校3、4年生の漢字力しかない子に「この社会の教科書の内容で思ったことを述べろ」と言っても、それは無理です。意味が分からないのですから。
また、算数の状況についても確認したのですが、こちらは、分数の計算ができない場合、どの単元でつまずき、さらにそのつまずきが、その後に習う単元にどのような影響を与えるかを考えましょう、というもの。
前のスクリーンに算数の各単元を明記した表が映し出され、そこで、関連単元に線を引いて消去しながら検証してみると、なんのことはない、この状況では、算数のほとんどの単元が分からないという状況になっていました。要するに「積み重ね科目の勉強」では、習ったその時点できちんとできるようになっていなければ、後で出てくる単元のほとんどに大きな影響を与えてしまうということなんです。 そして、これと子供たちの「国語が好き」「算数が好き」というベネッセが行ったアンケート結果と合わせてみてみると、国語は割と徐々に「好き」の割合が落ちてくるのに対し、算数は小学校4年生と5年生でガクッと下がってしまう。
小学校3年生までは80%程度あった「好き」の割合が小学校4年生で70%あたり、小学校5年生で60%あたりまで落ち込んでくるんですね。ということは、小学校3年生までに勉強習慣をつけ、小学校4年生では、教員の授業力の強化と子供たちの家庭学習の充実が大事、ということが判明したと言っても過言ではないでしょう。どこに力を入れて指導すると、子供たちの学力が回復するか、という方法もここで見えてきているんです。あとは実践あるのみ、ということではないでしょうか。
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