これも2011年の内容です。当時は、学力向上という話をすると必ず出てきたのが「過度な競争を生む」という反論でした。「過度な」という以上「適度な競争」というのもあるはずなのですが、それについては一切論じられず、何でもかんでも「過度な競争」とされていたのです。
ですから、当時の釧路では、単純に「勉強を頑張ろう」「学力を向上しよう」がタブーだったんですね。
ただ、ひょっとすると、未だにこういう考え方の人がいるかも知れません。陰で暗躍しているかも知れません。
そういうことを踏まえて、今回の話を読んでください。
<「過度な競争になる」という理屈>
現在、釧路では市議会が開かれ、そこで教育問題が論じられています。で、こういうときに必ず出てくるのが勉強させようとすると「過度な競争を生む」と真っ向から反対してくる人たち。そこで、いろいろ調べていくうちに、面白い文献に当たりました。それが何と、中華人民共和国が成立して間もない頃の共産党の思想。お父さん・お母さんだと記憶にある方も多いと思いますが、あの「みんな同じ服を着て自転車に乗っていた頃の中国」のお話です。
当時の中国では、資本主義思想を完全に排除しようとしていて「勉強を競争して、人より良い学校へ入学し、人より良い収入を得ようとするのは、資本主義思想である」として競争自体を全面排除していたそうです。だから、過度であろうがなかろうが「競争はダメ」という考え方だったそうですよ。
スポーツでも競争はダメ。当時の共産思想では「スポーツはメダル集めをしようとする、腐った資本主義精神」といういい方をしていたそうです。今の運動会の「みんな一等賞」に近い感覚のような気がしますね。
女の人が化粧をするのもダメ。これも「資本主義思想の退廃精神」として、化粧をして歩く女の人は、周りから非難を浴びていたそうです。自分が学校を見学したときには、女性教師で化粧をしている人が極端に少なかったのですが、この考え方のせいなんでしょうか?
また、過去の主義・思想に関するものは全部捨てることが義務づけられ、その一例として、学校や図書館・個人に至るまで、全部本を焼却処分しなければならなかったそうです。これって「君が代」を廃止しようとしている人たちの考え方に何となく近いような気がしませんか? だって、「君が代」を歌うと戦争当時の状況に逆行する、という考え方はどうしても不自然でしょう。過去の日本の文化や伝統を排除してしまおうとしていると考えた方が、つじつまが合いますよね。もちろん、一時話題になった「ひなまつりを女の子の行事とするのはおかしい」という「行き過ぎたジェンダーフリー」の話も、この共産思想と照らし合わせれば、つじつまが合いそうですよね。
こうやっていろいろ当てはめて見ると、意外と今の学校の状況に近いものが見えてくるような気がします。これって、自分の気のせいですかね〜。
ところで、本家本元の中国では、みなさんもご存じの通り、現在、非常に経済的に発展していますよね。街の中の様子がテレビで流れたりしますが、車がいっぱい走っていて、女の人も化粧をしておしゃれして歩いています。北京大学などの有名大学では、なんと「替え玉受験」をしてでも合格しようとするものまでいたりして、みんな、良い大学に合格しようと必死に勉強しているんだそうです。要するに共産主義の本家では、すでに競争が普通、おしゃれも普通になっているんですよね。
こうして考えると、日本の共産主義って、ものすごく「時代遅れ」なのかも知れませんね。こういう人たちに学校にいて欲しくないよな〜。
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