「ちゃんと宿題してくれればいいな」が期待、「絶対、宿題をやっているはずだ」が信用。似ているようでちょっと違いますね。中1・2のときは、勉強が後回し。そのときに「中3になったら勉強をしっかりしてくれればいいな」が期待、「中3になったら絶対勉強をしっかりやってくれるはずだ」が信用という事になるのですが、みなさんはどちらのスタンスでしょう。
日頃、あまり考えた事のないことかも知れませんが、実は、結構、この違いが大切です。
スポーツ選手などを見ていると良くわかると思うのですが、新人の頃は「頑張っていい結果を出してくれるのではないか」と期待され、そして、その期待に応えて結果を残すことで「信用を勝ち取っていく」という事になりますね。すなわち「実績や根拠となるものが薄い段階」では期待なのに対し、「実績を摘み、信用に値するレベルに達した段階」で初めて「信用される」となるわけです。
大人になると、身にしみて感じる事が多いと思うのですが、例えば、「忘れ物をしょっちゅうする人」には大事な仕事は任せられません。これは、過去の実績がその人の信用を決めてしまう良い例だと思います。
さて、これを勉強に置き換えてみましょう。 もし過去に一度も勉強したことがないという子が、受験生になって「勉強してくれるだろう」と思う場合、これは残念ながら過去に信用に足るだけの実績がありませんから「期待」にしかなりません。もちろん、期待ですから、結果がついてこない可能性が非常に高いという事も考慮しておかなければなりません。大人の感覚で言うと「忘れ物をしょっちゅうする人」に大事な仕事を任せているのと同じ感覚と考えておけばいいでしょう。大事なタイミングで「やっぱり忘れ物をしたか〜」という結果になっても、それは任せた人の責任ですから、最終的に諦めるしかないのです。
さらにこれは勉強の事に限りません。最近の傾向として「子供の可能性を信じよう」と無条件に「信用」することが「真・善・美」とされているように感じますが、本来は「子供の可能性に期待しよう」というレベルです。そして「期待」が「子供の努力を生み」、その努力の結果がついてくることによって、初めて「信用」が生まれるのです。これは子供に限ったことではありません。大人でもそうですね。
本来、「信用を勝ち取る」というのは、そんなに容易なものではありません。最低限の「約束を守る」「忘れ物をしない」から始まって「目標に向かって一生懸命努力する」などの経過を経て初めて手に入れられるものであり、無条件に簡単に与えられるものではないのです。
ですから「期待はするけど、何の根拠もない信用はしない」というのが、子供の将来の見据えた〜信用してもらえる大人になるための〜大切な指導と考えて下さい。そして、このスタンスを取ると、今まで自分の子供さんについて見えていなかったものが見えてくるようになるはずです。
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