よく言われるんです「釧路は民度が低い」って。「釧路の学力が低いのは地域性もある」なんて言うことを。 でもね、よく考えてみてください。
「高校入試の話を中1のときからきちんとしている地域」と「全くしない地域」では、勉強に向かう意識が違うのは当然じゃないですか? 「忘れ物をしたら、きちんと注意する地域」と「全くしない地域」では、大人になってからの「忘れ物に対する意識」が違うのは当然じゃないですか? 「遅刻をしたときにきちんと注意をする地域」と「全くしない地域」では、大人になってからの「時間感覚に差がでる」のは当たり前じゃないですか?
実は、自分は「大人になってからの意識の差」〜いわゆる「民度」〜というやつは、その大人が子供のとき〜特に義務教育時代に受けてきた「教育」の影響が大きいのではないかと考えています。
したがって「地域性」というのは、その地域の教育の集大成のようなもの。ですから、もしも、今「釧路の民度が低い」というなら、それは、今の大人が子供のときに受けてきた「教育の結果」ではないかということなんですよ。
もちろん、逆の場合もあって、例えば、戦国時代・江戸時代に、領主が「学問に対して意識が高い地域」は、今もその伝統が受け継がれていて、現在でも比較的学力が高いという傾向にあるわけですが、これも、以前に受けていた「教育」が「その地域の地域性を作っている」と考える一つの要因です。
もちろん、以前は「勉強に対する意欲付けを阻害する要因」があったかも知れません。釧路は、炭鉱などが基幹産業でしたから「青白い顔して、勉強、勉強って言っていたって、役にたたないやつばかりだ」というような事を平気で言っている大人がいたのも事実です。
でも、今は、もう時代が違うでしょう。基幹産業が衰退していっている今、結局、勉強に対して否定的な感情を持った人たちの言うことを真に受けて育ってしまったがため、釧路は「生活保護世帯が多い」という現象になって表れているのではないか、と思っているんですね。
要するに「勉強しなくても、根性出して、人より多く体を使えば、勉強したやつより多く稼げる」という仕事は、もう、ほとんど無くなってきているんです。そうなれば、当然、方針も変えなければならないでしょうし、もう、その時期に来ている事は間違いありません。そして、これから求められる人材は、工学・医療技術・情報システム関連などの、いわゆる「理系」がメインになってくると思っています。その人材を育てるためには、物事を細かいところまで考え、忍耐強く物事に対応できる子を育てて行くということがカギになってくると思います。
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