これも2014年に書いた内容です。
学校の先生や塾の先生の話を聞いても、この「楽しい」の感覚が違っているのではないかと思う人が多いのではないかと思ってしまうのですが・・・
<「楽しい」の概念が違います>
よく「楽しむのが大事」なんていう言葉を聞きますが、そもそも「楽しい」ってどういう事か、というお話です。
タイトルにある「仕事」と「遊び」なんですが、実は、この違いによって「楽しい」の状況が変わってきます。
まず、「仕事」の場合。ちょっと経済学っぽい話になりますが、仕事というのは、基本的に「財」や「サービス」の生産に携わる(その「財」や「サービス」を直接生産するか、生産に直接携わっている人をフォローする〜いわゆる間接的に生産に携わるかのどちらか)わけで、必ず、その「財」や「サービス」を受け取る「相手」がいるということ。そして、その相手が満足してくれないうちは基本的に「楽しめない」わけで、結果、ある一定以上のスキルが必要になる、ということなんですね。
ところが「遊び」または「趣味」などで「楽しい」はスキルのレベルに関係なく、自己満足で可、ということになります。
具体的に言うと、例えば「ラーメン屋さん」の場合、これは、お客さんが満足出来る味でなければ、お客さんは来てくれません。ですから、お客さんが来てくれるレベルになるまで、ラーメン作りを研究したり、どこかに行って修行したり、そうして、お客さんが満足してくれて、美味しいって言ってくれて、お店も繁盛して、そこで「楽しい」が生まれます。そのレベルに達していなければ、おそらくは「苦痛」がかなり伴う事になります。
それに対し、自宅でラーメン屋さんの真似をしてラーメンを作って「お、割と美味しく出来たぞ」と自分で満足して「楽しい」と思っているうちは、あくまで遊びや趣味のレベル。これだと、自由に楽しんでください、ということですよね。
それともう一つ、これは、「仕事」にも「遊び」にも両方に当てはまる事なんですが、練習して何かが「出来る」ようになったとき、「やったー!」という達成感があって、それが「楽しさ」につながります。当然、こうなると、仕事も遊びもレベルが上がって行くんですね。
さて、ここで「仕事」という面で考えてみると、練習して「何かが出来るようになって楽しい」を繰り返して行きながら、相手の満足するレベルに達して「最終的な楽しさ」を得ることが出来る。すなわち「出来るから、最終的に楽しい」という流れになります。
それに対して「遊び」という方向に行くと、まず、最初に「楽しさ」があって、より上のレベルで楽しめるようになりたいと思ったときに練習をし、その達成感でまた「楽しい」と思う。でも、それは、あくまで「自己満足」の範疇であって、相手の満足感は求めません。より上のレベルで楽しもうと思うかどうかも本人次第。すなわち、まず「楽しさ」があって、その後「出来る」がついて来ます。
以上をまとめると 仕事は「出来るから楽しい、を繰り返し、ある一定レベルに到達すること」 遊びは「楽しいからスタートし、より上のレベルが出来る出来ないは本人次第」
となると、子供達にしっかりした将来の「仕事感覚」を身につけさせるためには「出来るから楽しい」の感覚を身につけさせる事が大切、ということになります。これを「楽しい」からスタートさせると、すべては「遊び感覚」になって行くんです。
ここで、今の企業経営者の声で多く出てくるのが「忍耐力が足りない」「叱るとすぐにやめる」というものですが、これは、いったいどういう状況で生まれるのか。
それは、子供達は「仕事」を「仕事感覚で捉えていない」ということ、すなわち「遊び感覚で捉えてしまっている」事に要因がある、と自分は考えています。すなわち「楽しいが前提でスキルアップなど全く考えていない状況で起こる現象」と考えているんですね。これが、もし「仕事感覚」があれば、「自分のやっている事が仕事にしっかり結びついていない〜スキルが足りない」という反省になり、次は「叱られないようにきちんと出来るようにしよう」と考えるはずなんです。
現状では、サッカーをやっている子に「サッカー、楽しいかい?」と聞くと「うん」と言います。でも「自宅で練習しているのかい?」と聞くと「特にしていません」と答える子が多いんですよ。それで、将来「サッカー選手になりたい」って言うんです。自分で練習してスキルアップをしていく過程を楽しむ、ということが出来ないんです。というより、そういう感覚を知らないんですね。将来「お医者さんになりたい」「看護士になりたい」といっている子の勉強状況にも、似たものがあります。要するに職業として成り立つ状況ではないんですね。
そして、これが「楽しい」を優先させた弊害なんです。「楽しいから興味が持てる」「楽しいからできる」と唱えているのは「肝心の仕事ですら遊び感覚でやれ」と言っているのと同義なんです。「楽しくなかったら仕事をやめてしまえ」「楽しい仕事がなかったら家に引きこもれ」と言っているのと同義なんです。これを北海道教育大学が押し進めているんです。さらに悪いことに、親にも「楽しいのが一番」という感覚が蔓延しているんです。
この状況が進むと、何も努力がなくても、とりあえず出来れば、それが楽しいになります。テストの問題を何の勉強もせず、勘で答えて合っていたら「楽しい」。そして、大人になって、パチンコでたまたま大当たりすると「楽しい」。そして、何の努力も無しに楽しめるとなったら、それにドップリ浸かって、結果、パチンコ屋の目の前にある消費者金融の無人契約機からお金を引き出してくるのも平気になっていきます。人口の割に、こういうパチンコ屋が多く存在するなら、その地域の人間の「民度が低い」、すなわち、そこの人たちの過去に受けてきた「教育状況が悪い」という事になるんです。
もう一点、確認しておきたい事がありますが、自分は小さい幼児のうちから、仕事感覚を身につけさせろ、と言っている訳ではありません。小さい子供のうちは「楽しい」がやはり優先でしょう。ただ、小学校に上がってからは、この「楽しい優先」に「出来る優先」を少しずつ交えて行きながら、小学校の高学年あたりになると、グッと「出来る優先」の割合が高くなっていなければなりません。それを小学校の高学年になっても、中学生になってもずっと「楽しい優先」で物事を行っていった場合、それは、子供をいつまでも「幼児扱い」しているのと同じ事です。ですから、この「楽しい」を優先しているところの生徒は、基本的に「精神的に幼いまま」であることが多いのです。
子供さんが年齢相応の物の考え方が出来るかどうか、この辺を見ていくと、仕事感覚が身についているかどうかが、分かってくると思います。
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