社会などの「知識にウエイトがある科目」と数学などの「考える事が主」という科目では教え方が違います。当たり前と思っている方も多いと思いますが、どこが違うかと言われても、ハッキリ区別はなかなか出来ないのではないでしょうか。
例えば、生徒が「分からない」と質問してきたとします。
知識系のものについては、ちょっとだけ思い出す時間をとりますが、それでも出てこない時にはすぐに答えを提示します。これは当然で、知らないものを答えなさいと言っても無理だからです。
また、学力の高い子については、答えを提示したのと同時に周辺事情なども合わせて話をします。そうやって、その都度「知識」を増やしていくようにします。
ただし、「きちんと勉強していれば身についているはず」のものでも「分からない」と言ってくる子に、答えをすぐに教えてしまうと、その生徒自身に「きちんと覚えよう」という感覚が身につかないので、最低限の勉強はしっかりするように注意を与えなければなりません。この辺のさじ加減が難しいと思います。
それに対し、思考系のものについては、その問題を解く流れの中で必要な、しかし生徒が身につけていないというパズルのピースを提示します。 ですから、教える側は、この問題を解くためにどのようなものが必要なのかを把握していなければなりませんから、教えるレベルも高くなります。
もちろん、その問題を解くために必要なものを生徒がすべて持ち合わせているにも関わらず「分からない」と言っている場合は、あえてそこで答えを出さず生徒にもう一度考えさせても構いません。そして、最終的には生徒に解かせます。そうやって、考える作業と必要な知識を両方しっかりと与えて行きます。
そして、もう一つ、この指導をするためには、生徒が理解している部分、理解できていない部分を先生が的確に把握していなければなりません。これも教える側に高いレベルが要求されます。
基本的に「教える」と言うと、ほとんどの方は「知識系」の教え方を想像するのではないかと思います。もちろん、思考を知識にすり替えて対応する場合は「思考系」のものでも「知識系」の教え方を使う事もあります。
ただし、本格的に思考力をつけようという場合、生徒が分からないからと言って、最初から最後まで解き方を教えても、それは、先生が生徒の思考の肩代わりをしただけであって、生徒に思考力はつきません。
だからと言って、必要な知識を持ち合わせていない子に無理矢理「考えろ」と言っても生徒はついて来ることが出来ません。
先生方は実感していると思いますが、思考力のある子は「自分で考える習慣が出来ている子」だと思います。自分で考える事が出来ず、常に誰かに頼ろうとしている子に「思考力」はあまり感じていないのではないかと思います。
ですから、思考力をつけようという場合の先生の役目は「子供が考えられる土台を作る」ということ。それから先は、様子を見ながら生徒に任せ、考える習慣をつけさせていきましょう。
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