<こういう環境が大切>
結論から言うと、算数・数学が出来るようになる雰囲気とは「図書室で本を読んでいるのと同じ雰囲気」もしくは「テストを受験している時と同じ雰囲気」なんです。要するに他人から話しかけられず、集中して問題に取り組み、最終的に自分の力で解決するのに適した環境ということなんですね。
もちろん、小学校の低学年のうちは、分からなくなったときにすぐに誰かに聞ける状態で勉強したい、と思うこともあって、居間で勉強したりすることもあると思いますが(中学や高校でも場合によっては誰かが側にいた方が安心できるのでその方式になっている時もありますが)、それでも、自分の力で計算問題を解いていたりするときには、話かけられたりすると、逆に「お母さんが余計な事を言うから計算間違ったでしょ」くらいの事を言ってくる場合も多いと思います。
結局、居間で勉強していても、いざ、集中モードに入ると周りの音が気にならない状況〜読書で言うと「電車の中で本を読んでいるような状況」に近い〜になっていると思います。ですから、たとえ居間で勉強していても、静かな環境で勉強しているのと、同じ状況になっていると考えて良いでしょう。
ということは、この逆の環境にしてしまうと、算数・数学が出来なくなってしまう、と考えた方がいいのです。そこで、自分が気になっているのは「グループ学習」というやつなんです。グループで話し合って見ましょう、というやつですね。
これ、共同で何かの作業する場合には、自分たちで話し合って役割分担などをして実行するということで、非常に有効だと思うのですが、このグループ学習で「考える力を養う」という場合には、非常に問題があるんです。
というのは、グループで考えろ、となった場合、大抵はそのグループの中の比較的勉強の出来る子が答えを出してしまい、周りにいる子供達は、自分で考えずにその子に丸投げになってしまうからです。結果、グループでの答えは出ている訳ですから、何も考えなかった子も、それで出来たような気になってしまう。そして、その状況が続くと、他人の頭で考えたものが、自分で考えたものとイコールのような錯覚を生み出してしまう。
学校で過ごすだけならそれでもいいのですが、いざ、社会に出ると「自分で考えろ」と言われても、今まで他の人が答えを出してくれていて、自力で考えてこなかったから、考えようにも考えられない状況になっている。そうなると、誰かが答えを言ってくれるのを待つようになってしまいます。 これで「指示待ち人間」の出来上がり、という訳です。
社会現象として起きている全体の現象に対して、それと大きく関わりを持つのが「教育」。それも「義務教育期間で培われたもの」が非常に大きな影響力を持つわけです。決して個別の事例ではなく、社会全体として起きている事象に限って考えて欲しいのですが、そこで起きている現象は、教育期間にどのような教育を受けてきたか〜特に「全国的にどのような教育を善と考えているか」ということとしっかり結びつけて考える事が必要です。そして、今、教育界で「善」と思われている指導が、社会に出た子供達にどのような影響を与えているか、ということを考えるのも非常に大切なことだと思っています。
Comments